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こうして阪急電鉄はつくられた!小林一三かく語りき

【5分de名著】小林一三『逸翁自叙伝』④
いまなお名経営者として注目される小林一三の自伝『逸翁自叙伝』「チラ読み」4回目は、ついに箕面有馬電気軌道の設立が語られます。やがて阪急電鉄へと発展してゆくこの会社が作られたのは、とんでもない綱渡りの末のことだった!

失敗したら責任は取る。が、なるべく軽くすましたい。

4.箕面電車の設立

箕有電鉄創立事務を、阪鶴鉄道重役すなわち発起人諸氏の手許から、私が全部引受けるという契約書の調印が、四十年六月三十日実行されると、まず第一に考えたことは、創立事務費を大節約するには、どうすればよいかという事である。

 

会社の設立がうまくゆけば文句はないが、万一設立不可能、解散というがごとき場合にならないとも限らない。当時の情勢は、経済界混迷の幕明きでその前途は悲観あるのみであったから、土居通夫氏のごとき、大阪における第一人者の顔触れをもってしても、傍若無人のあの契約書に調印せざるを得ないのを見ても判る。

設立不可能の場合の責任は、すでに覚悟はしておるものの、出来るだけ軽くすましたいというケチな考えもあったから、私は阪鶴鉄道側の事務員全部を解雇した。そして事務所を高麗橋一丁目の桜セメント会社の二階一室を賃借してそこに移転した。

桜セメント会社は、平賀氏が三井銀行をやめて初めての事業であり、ようやく本格的に仕事を始めつつあったので、幸いに空いておった二階の一室を家賃二拾円で借りた。給仕も小使も電話も電灯代も、桜セメント会社におんぶして助けて貰ったのである。当時の事務員は現在京阪神急行電鉄の会長佐藤博夫君ほか二名のみであった。

二階借りの事務所でただぼんやりと懐ろ手をしていたわけではない。電鉄敷設の仕事は着々として進行せしめておったのである。それは鉄道工務所という工事の設計監督を営業としている専門事務所に全部委託したのである。鉄道工務所はおそらく関西におけるあるいは日本における最初の計画であったと思う。

この仕事は日露戦後における電鉄事業勃興に処する必要機関として、村上享一という工学士を中心とした専門家達によって設立されたもので、京阪電鉄、兵庫電鉄、神戸市電、箕有電鉄、その他地方の各電鉄の計画、設計、出願等の事務を引受けて来た信用のある事務所であり、同時に工事監督まで引受けていたものである。

この鉄道工務所の有力なるメンバーとして阪鶴鉄道専務速水太郎君が参加していたから「私は必ず設立して見せる、敷設計画は全部君に一任するから、会社が設立される前に実際の仕事に着手できるように段取りを立ててほしい、そしてその費用は他所の倍額を仕払うてもよいから」とお願いした。