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「ある宗教」を信じていた人々が、なぜか金持ちになれた理由

3分で理解できる『プロ倫』の中身

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、略称『プロ倫』。著者マックス・ウェーバーがなくなって100年が過ぎ去ろうとする今なお、「必読書」と言われつづけている名著である。だが、その知名度に反して、実際に「何が書いてあるのか」についてはなかなか知られていない。

このたび講談社選書メチエより刊行された『解読 ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」』では、「ウェーバーは何が言いたかったのか。それは現代のわたしたちにとってどんな意味があるのか」を、徹底的にわかりやすく解説している。

面白いけれど、わかりにくい

まずこの本は、正確にいうと、本ではない。もともと二回に分けて連載された論文であった。それがのちに加筆修正されて、『宗教社会学論集』という大きな本の一部に収録された。だから『プロ倫』というのは、ドイツでは本ではなくて論文、あるいは大きな本の一部として位置づけられている。日本では単独の本として出版されているので、私たちは本とみなすようになった。

それでも『プロ倫』は、『宗教社会学論集』のなかでも比較的独立したスタイルで書かれているので、これを取り出して読む価値があるだろう。『プロ倫』は、プロテスタンティズムの倫理から、どのようにして資本主義の精神が生まれたのかを解明している。ウェーバーが書いた社会学のなかでも、とびきり面白い部分である。

マックス・ウェーバー(Photo by gettyimages)

ところが『プロ倫』におけるウェーバーの主張は、どうも中核的な部分で、よく分からない。ウェーバーは、プロテスタンティズムの倫理が、その「意図せざる結果」として、資本主義の精神を生んだ、と言っているようにみえる。けれども他方で、ウェーバーは、「プロテスタンティズムの天職倫理」と「資本主義の精神」がほとんど同じだとも見ている。いったいどちらが正しいのだろうか。

 

私を含めて読者の多くは、まずこうした大局的なあらすじの理解で躓いてしまうのではないだろうか。いったい『プロ倫』の中心的な主張、すなわち「『プロ倫』テーゼ」とは何なのか。なによりもこの中心的なテーゼが、読み解かれなければならないように思われる。