息子を不良少年に殺された母親が、苦しみと向き合い続けた22年間

同じ悲劇を繰り返させないために
松岡 久蔵 プロフィール

「不良になられへん子」

高松さん一家は、稲美町で農業を営んでいる。

稲美町は人口約3万人で兵庫県の中南部に位置し、田園風景が広がる田舎町だ。事件発生当時は高松さん夫婦、聡至さんの祖父、兄弟2人の6人家族。聡至さんは農業が好きで、将来、農家を継ごうとしていた。

毎日のように実家のキャベツ畑を手伝い、すくすくと成長した。スポーツ好きで体格も大きく、中学生になってからは野球部に入った。

だが、中学1年生の3学期ごろから事件の加害者も含めた不良グループと付き合うようになり、変形した学生服を着たりするなど非行に走り始めた。中学2年生になると学校に全く行かなくなり、バイクの無免許運転で補導されたこともあったという。

 

中学3年生になるころには、聡至さんは徐々に更正していった。高松さん夫婦の「高校はいかなあかん」との説得に耳を傾け、学校はサボっても塾は休まず通った。野球部の監督が「学校には無理に来なくてもいいから、部活にだけは来なさい」と声をかけ、校内に居場所を確保したことも大きかったという。

高松さんは当時の聡至さんについてこう振り返る。

「あの子は、トコトン不良になられへん子なんですよ。なんだかんだ行って田んぼの手伝いや勉強は続けてたし、私にも父親にも絶対に手を上げなかったんです。

児童相談所に相談した際に、『こういう不良少年は母親を殴るパターンが多いから気をつけてください』と言われましたが、全くそんなことはありませんでした。将来はブドウや果物を育てたいという聡至なりの目標もあり、きっと更正してくれると信じていました」

高松由美子さん(筆者撮影)

ついに聡至さんは中学3年生のクリスマスを境に不良グループとも縁を切り、自宅から離れた県立高校に入学して、寮生活を始めた。

新しい友達もでき、弓道部にも入って高校生活を楽しみ始めていた。そんな矢先、悲惨な事件が発生した。高松さんは「殺されるために一生懸命更正させたわけじゃない」と悔しさをにじませる。

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