息子を不良少年に殺された母親が、苦しみと向き合い続けた22年間

同じ悲劇を繰り返させないために

「犯罪被害者に終わりも退職もないんです」

1997年に兵庫県加古郡稲美町で起きた少年集団暴行事件。当時高校1年生だった長男・聡至さんを亡くした、高松由美子さん(64歳)はこう話す。

事件が発生した当時は、犯罪被害者に対する社会的な保護は現在よりもはるかに弱く、犯罪被害者が別の当事者を支援する場も全国にほとんどなかった。

高松さんは「息子の死を無駄にしたくない」と、当事者にしか分からない苦しみや悔しさへの精神面でのケアなど、犯罪被害者への支援活動に力を尽くしてきた。想像を絶する経験をした高松さんを駆り立てるものは何なのだろうか。

 

息子の命は、こんなに軽いのか

「まさか聡至が突然いなくなるなんて、思いもしなかった」

高松さんを悲しみのどん底に陥れた事件は、1997年8月23日夜、稲美町の神社で発生した。中学時代の同級生を含む少年10人(当時14~16歳)が、自宅から離れた県立高校で寮生活を始めた聡至さん(当時15歳)を呼び出し、意識不明の重体になるまで集団暴行を加えたのだ。

少年たちは「付き合いが悪くなった」などと因縁を付けて、鉄パイプや角材で執拗に殴り、動けなくなった聡至さんをバイクでひき、火の付いたタバコを両耳に入れるなどの暴行を1時間以上続けた。その後、彼らは自宅に帰ったり、カラオケに遊びに行ったりした。

翌朝、目を覚ました高松さんは、聡至さんがいないのに気づき、次男、三男とともに近所を探し回ったが見つからない。そうこうするうち、警察官が高松さん宅を訪れ、「お宅の裏の神社で成人男性が倒れていたのですが、昨晩、この辺りで騒がしかったり何か変わったことはありませんでしたか?」と質問してきた。

嫌な予感がした。すぐに現場に駆けつけた後、わけもわからぬまま警察で事情聴取を受けた。

「まさか、聡至ではないだろう」。最後まで半信半疑のままだったが、病院で変わり果てた聡至さんと対面し、現実を突きつけられた。聡至さんの顔はパンパンに黒く腫れ上がり、全身は傷だらけ。

高松さんは正気を失い、「目を開けて」と声をかけるしかなかった。聡至さんはそのまま9日後に帰らぬ人となった。

加害者の10人は間もなく傷害容疑で逮捕された。その後、傷害致死容疑で送検され、2人は初等少年院、8人は中等少年院で1年4ヵ月から8ヵ月の保護処分が決定した。 

高松さんは当時の心境をこう振り返る。

「まるで聡至がオモチャか何かのようにもてあそばれ、集団暴行で殺されたのに、『明確な殺意が立証できない』と判断され、殺人ではなく傷害致死になったのは納得いきませんでした。それに、刑期もたかだか1年半程度で、すぐに一般社会に戻ってくる。殺された息子の命はこんなに軽いのか、と悔しくてたまりませんでした」。