納税額の低い人を「税金泥棒」と見なす社会は、どう克服されてきたか

私たちはこの達成をすぐに忘れてしまう
石川 敬史 プロフィール

規範は忘れられやすい

野蛮とは何か。それは理性が導く道徳原理を省みないことである。理性が導く道徳原理とは、「人格はあくまで目的であり、人格をモノとして扱わないこと、人格を何らかの目的のための手段として用いないこと」、これである。

ロックは、人間の自然権は、「生命」・「自由」・「財産」と言った。ここから具体的な原則が導かれる。人格を財産の客体にしてはいけない。かりに同意があっても、人間をモノとして扱う行為は排除しなければならない。

野蛮人(という言葉が悪ければ貴族と言ってもよい)とは、これを排除しない人々のことである。これは知能の問題ではなく、規範意識の問題である。野蛮人には規範への敬意がない。そして彼らはしばしば極めて有能である。

表面的な意味で「客観的」であることがしばしば体制に阿(おもね)る態度を導くのには理由がある。規範的な知性を抜きにして、数字を眺めるのは、幼児が火を眺めるようなものである。容易に騙されるのだ。

 

15世紀後半から17世紀にかけて展開した大航海時代のヒット商品に、アフリカ人奴隷があった。アメリカでは1619年にヴァジニア植民地でオランダ商人から購入したのが始まりと言われている。1661年以降、法的に奴隷制が整備されていき、1865年にアメリカ合衆国憲法修正13条が成立するまで続いた。

アフリカ人奴隷の使役とその終焉についての解釈には、看過し得ない謬説がある。それは、「奴隷労働は、経済的に合理的なものではなく、産業の発展につれて自由労働に入れ代わっていった」というものである。

しかしそんなことは決してなかった。奴隷労働は経済的にとても合理的だったのである。バリントン・ムーアが『独裁と民主政治の社会的起源』の中の「アメリカ資本主義の三つの発展形態」と題する節で論じているように、プランテーション経営は、目的合理的な資本主義の精神の賜物なのである。

アメリカで奴隷制を終わらせたのは、経済的な合理性ではない。連邦政府の軍事力である。大西洋世界でアフリカ人奴隷売買が終焉したのは、大陸諸国における奴隷禁止法やイギリスにおける判例の積み重ねである。決して奴隷労働が経済的に合理的ではなかったからアフリカ人奴隷がいなくなったのではない。国家が禁止したからいなくなったのである。

それゆえ気をつけなければいけない。皮膚の色で可視化される奴隷労働がなくなったことは、奴隷労働そのものがなくなったことを意味しない。現代においても、より巧妙に、より合法的に、時には民主的な外観を装いさえしながら、かつてはアフリカ人奴隷が行なっていたような労働形態は生き残っているのではないか