「大阪」とは一体何だろうか…「空虚な中心」が生まれたその理由

大阪のアイデンティティ、その本質
畑中 章宏 プロフィール

2025大阪万博は大阪城や御堂筋で

石山本願寺は周囲に濠をめぐらした城郭寺院で、織田信長に攻められても容易に落ちなかった。その跡地に築城された大坂城だったが、大坂夏の陣で焼失してしまう。

豊臣氏の滅亡後、大坂城は幕府直轄領となり、1620年から江戸幕府による築城が始まる。幕府は、豊臣氏時代の大坂城の上に数メートルもの土盛りをし、石垣もすべて埋めた上に、“徳川大坂城”を築いたのである。幕府が直轄した大坂城の城主は、徳川家の歴代将軍だった。

本願寺門徒、豊臣氏、徳川家の歴史が眠る、大阪城の豪壮な石垣

5層5階の大天守は1665年に落雷のため焼失し、現在の復興天守は、1931年に豊臣氏時代の天守を模造したものである。

つまり大阪城の地底には、大坂に寺内町を築き、御堂筋のもとともなった信仰の拠点、また商業・産業の礎になった場所が眠っているのである。

 

G20大阪サミットも2025大阪万博も海に浮かぶ人工島で開催される予定で、大阪城は関連行事が行われるぐらいである。

しかし、大大阪が “ターミナル”として栄えた「空虚な中心」であることを、逆手にとることはできないだろうか。あるいは、大坂城と本願寺の歴史がはらむ、宗教や政治の有為転変も、現代にいたる大阪の魅力のひとつであろう。

「なにわ」「大坂」「大阪」のよりどころであり、ターミナルという機能によって栄えた御堂筋、また自治都市・堺を、来るべき万博開催では、重んじるべきである。