「大阪」とは一体何だろうか…「空虚な中心」が生まれたその理由

大阪のアイデンティティ、その本質
畑中 章宏 プロフィール

ターミナルとしての「大阪」

1889年に市制が施行された大阪市は、大正時代後期から昭和の初期にかけて、「大大阪」と呼ばれる繁栄を迎えた。

1923年9月に関東大震災が発生し、東京の被災者の一部が大阪市に転居してきたため、人口が急激に増加。また25年の市域の拡張で、面積181平方キロメートル、人口211万人となり、東京府東京市を上回る日本一の大都市になった。

 

「大大阪」時代の大阪は、4区だった区も13区に増加、商業・紡績・鉄鋼などの産業が栄え、また文化・芸術の中心としてモダン建築が壮麗さを競い、活気がみなぎった。

池上四郎第6代市長(在任1913~23年)の時代には、大阪市天王寺動物園が開園。都市計画学者・社会政策学者でもあった関一第7代市長(在任1923~35年)も、大阪城の天守閣再建や御堂筋の拡幅、大阪市営地下鉄御堂筋線の開通を果たした。

インバウンドの人気を集める大阪城天守閣(筆者撮影)

1929年、世界初の“ターミナルデパート”として、梅田に阪急百貨店が開店。阪急梅田駅のコンコースは伊東忠太の設計で、鳳凰、竜、ペガサス、獅子などを描いモザイク壁画や、シャンデリアが天井から吊されるなど豪奢を極めた。

1932年には、南海鉄道難波駅の4代目駅舎として「南海ビルディング」が建設され、西側には南海鉄道のオフィス、東側には高島屋が入った。このビルは、テラコッタタイル張りのコリント様式で、アーチに囲まれた三連窓などの華やかな装飾が施された。

「大大阪」の象徴ともいえる難波の「高島屋(南海ビルディング)」(筆者撮影)
大阪メトロ御堂筋線の一部の駅は、モダンな照明が美しい(筆者撮影)

「大大阪」とはすなわち御堂筋や御堂筋線であり、阪急や南海などの私鉄の“ターミナル”のことだった。

大阪は太平洋戦争後も、戦後復興と高度経済成長期には、西日本の中心都市として繁栄を続けた。

しかし、1960年代後半から急速に衰退が始まり、1970年の大阪万博以降、衰退はより顕著となる。高度経済成長期が終り、安定成長期以降の1978年、大阪市の人口は神奈川県横浜市に追い抜かれてしまう。

維新もリベラルも、じつは大阪の理想を描くとき、“ターミナル”にすぎない「大大阪」の幻影にすがるしかないのである。