令和という元号の「大いなる疑問」に、あの国文学者・中西進が答えた

なぜ「序文」からの引用なのか…?

元号「令和」の名付け親ともいわれる、国文学者の中西進さん。改元直後の5月初旬、令和ということばに込められた思想を講演会で語っていた。雑誌『短歌研究』7月号に掲載されているその内容の一部を、特別公開する。

多くの人が抱いた疑問

「令和」という元号を例としてお話ししたいと思います。

これは『万葉集』の巻五の一節を基にしたものです。大伴旅人という人が梅の花を見る宴会を催し、三十二人が集まって和歌を作ったというのです。

三十二人の歌の前に、漢文の序をつけているのですが、その序には、いまは天平二年の正月十三日であり、初春の令月、麗しい月という意味での「令月」であるという。そのときに空気が淑やかで、風が和かであるといいます。「気淑風和」と書いています。

それがもとになって、「令」と「和」という元号ができ上がります。 ひょっとすると、それをお聞きになったときに何か変な気がしたかもしれません。

 

梅花の宴を開いて歌を作るという序文の、それも初めのところで、こういうときだったんですよということを言っている箇所です。その次の段階に入ると、梅の花はよく咲いて、香りもかぐわしい、これから歓を尽くして歌を作ると書いてあります。

手紙でいえば、「拝啓」の次に、「近ごろ薫風がさわやかに吹いて、よい季節になりました」 という、季節の挨拶を書きます。そのようなところがもとになっているのです。なんだこれは、元号としてはおかしなところの一節ではないかというふうに思った方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

梅花の歌三十二首并せて序

天平二年正月十三日に、そちおきないへあつまりて、宴会をひらく。時に、初春しよしゆん令月れいげつにして、気く風やはらぎ、梅は鏡前きやうぜんひらき、らん珮後はいごかうかをらす。加之しかのみにあらずあけぼのの嶺に雲移り、松はうすものを掛けてきぬがさを傾け、夕のくきに霧結び、鳥はうすものめらえて林にまとふ。庭に新蝶しんてふ舞ひ、空には故雁こがん帰る。ここに天をきぬがさとし、地をしきゐとし、膝をちかづさかづきを飛ばす。ことを一室のうちに忘れ、えりを煙霞のそとに開く。淡然たんぜんみづかほしきままにし、快然とみづから足る。若し翰苑かんゑんにあらずは、何をちてかこころべむ。詩に落梅の篇をしるす。いにしへと今とそれ何そ異ならむ。宜しく園の梅をしていささかに短詠を成すべし。(『万葉集(一)』中西進、講談社文庫より)

ところで私は、そういう人たちを敵視してこの話をしているわけではありません。令和という元号を誰が考えたか、ということは別の問題であります。それはひとつご了解いただきたいと思うのであります。

本題に戻りましょう。そのように考えると、なにかここは半端なところをとっているのではないかという気が皆さんにあったのではないかという気がいたします。しかしそうではありません。われわれが挨拶をする時、今がどういう時候であるかということを述べること自体が非常に大事なことなのです。