ラナプラザから車で30、40分ぐらい離れた地域にある工場。バングラデシュには5000を超える縫製工場が存在する〔PHOTO〕Syoin Kajii

月収3900円…世界のファストファッション工場、バングラデシュの苦境

4000人が生き埋めの事故から6年

GAP、H&M、ZARA、ベネトン、ユニクロ……世界のファストファッションブランドの工場が建ち並ぶバングラデシュは、世界第二位の衣料品輸出国だ。しかし、急激な発展を遂げるその陰で、資金繰りに苦しむ下請けも多く、そのしわ寄せは工場に勤める労働者たちに及ぶ。

僧侶にして写真家の梶井照陰氏は、スラム街に身を寄せる低賃金労働者や、この地で疎まれるヒジュラ(トランスジェンダー)たちの生活をカメラで捉え、一冊の写真集『DIVE TO BANGLADESH』にまとめた。

梶井氏がスラムで目にした光景とは。写真とともに、その実態について綴ってもらった。

4000人が生き埋めになった痛ましい事故

バングラデシュの首都ダッカ近郊約20kmにシャバールという地区がある。1971年、パキスタンからの独立戦争の際に虐殺された多くのバングラデシュ人が埋葬された地として知られるこの地区は近年、縫製工場や皮革工場が次々と建設されている。

2013年4月24日、そのシャバール地区で、世界的に例のない大惨事が起きた。縫製工場が入った商業ビル「ラナ・プラザ」が崩壊し、当時そこで働いていた4000人ほどの従業員たちが生き埋めとなったのだ。

違法な増築に加え、ミシンと発電機の振動により崩壊した縫製工場「ラナ・プラザ」〔PHOTO〕Syoin Kajii

事故の原因は建築基準に満たない建物だったことに加え、発電機とミシンによる振動だったという。死者1100人以上、負傷者は約2500人に上ったこの崩落事故は、国際的にも大きく報じられ、縫製工場の劣悪な労働環境や安価な労働力を求めて進出する企業側に批判的な目が向けられるきっかけとなった。

 

3月から5月にかけてバングラデシュは1年で最も暑い季節を迎える。燦々と照りつける太陽の下、崩落現場では遺体が次々と担架に乗せられ運び出されていった。辺り一面に腐敗臭が漂い、集まった人々は眉間に皺をよせ両手で鼻を押さえている。

担架で運ばれていく遺体〔PHOTO〕Syoin Kajii

面接の際の書類に貼られていたものだろう。足元にはここで働いていた人たちのものと思われる証明写真が散乱し、日本でもよく目にするファストファッションのタグがついた衣類が瓦礫のわきにうず高く積まれていた。生き埋めとなった労働者の多くは、スラムや貧しい家庭の若者だったという。生活のため、家族を養うため工場へ通うのが彼らの日課だった。

あの事故から6年が経つ。現在、その場所には鎮魂のためのモニュメントが建てられ、現場は更地となり当時を偲ばせる物は何もない。私はこの事故の取材をきっかけに縫製工場で働く彼らの生活に興味を抱き、やがてスラムに通うようになっていった。