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ロシアが展開するハイブリッド戦争の脅威

エストニアから考える新しい戦争の形

サイバーセキュリティ対策の先進国

北欧の小国・エストニアは最近、日本で最も注目されている国の一つであろう。童話から出てきたような可愛らしく伝統豊かな旧市街の街並みや、乙女心をくすぐるような雑貨店やオーガニックショップ、手作りショップなどは、しばしば雑誌などでも特集され、若い女性の憧れの旅行先になっている。

他方、IT大国、フィンテックの先端をゆく電子国家としても有名であり、日本からのビジネスマンの視線も熱く、日本からの出張者や見学団体が絶えないという。元大相撲力士の把瑠都関(2019年よりエストニアの国会議員)の出身地としても有名かもしれない。

エストニアの首都・タリン(Photo by Getty Images)

こんな老若男女の関心を集めるエストニアは、サイバーセキュリティ対策の先進国でもあり、首都・タリンにはNATOサイバー防衛協力センター(CCDCOE:Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence[https://ccdcoe.org])が2008年に設置された。

CCDCOE(Photo by Getty Images)

同センターは、2013年に「タリン・マニュアル」(正式名称は、「サイバー戦に適用される国際法に関するタリン・マニュアル」)というサイバー戦争と国際法との関係性について記載した文書を発表し、第2版となる「タリン・マニュアル2.0」も2017年にリリースしている。

また、同センターは、毎年、サイバー紛争に関する国際会議である「CyCon(International Conference on Cyber Conflict)」を開催しており、世界中からサイバーセキュリティ関係者が集う(なお、毎年11月に、米国ワシントンDCでCyCon USAも開催されている)。

そして、今年も5月末にテーマを「サイレント・バトル(Silent Battle)」とした11回目のCyConが開催され、筆者もはじめて参加した。

 本稿では、エストニアに何故このようなセンターが作られたのか、その背景について説明し、その鍵を握るロシアのハイブリッド戦争とその影響について触れてから、 CyConの感想を述べてゆきたい。

なぜエストニアに?

今は欧州の一部としての地位を確立しているエストニアであるが、かつては1991年末に解体されたソ連の一部であった。エストニアを含むバルト三国は、ソ連解体後、ソ連の継承国であるロシアと袂を分かち、すぐに経済自由化、民主化を遂げ、2004年にEU(欧州連合)およびNATO(北大西洋条約機構)に加盟した。

そもそも、バルト三国は、自分たちの意思に反して、独ソ不可侵条約に伴うモロトフ・リッペントロップ秘密議定書により、強制的にソ連に編入されたと考えており、ソ連時代を「被占領時代」ととらえている。ソ連末期のペレストロイカ時代に、最初に人民戦線を創出したのはエストニアであり(そこからソ連中に同様の動きが広がっていった)、バルト三国は平和的な独立運動である「歌の革命」でソ連に揺さぶりをかけるなど、バルト三国はソ連を解体に導く重要な震源地となっていたのであった。

だが、ロシアは旧ソ連諸国を「近い外国」とし、勢力圏として、影響力を及ぼしつづけられる状況を維持することを最重要の外交課題としてきた。旧ソ連のEUやNATOへの加盟はロシアにとっては許し難く、バルト三国がそれらに加盟することも、国境問題での揺さぶりなどで阻止しようとしていた。

それでもバルト三国は2004年にEU、NATOに加盟し、名実ともにロシアから離れていった。そのようななかで2007年にエストニアで起きたのがロシアからとみられるエストニアに対する大規模なサイバー攻撃であった。

同年4月、エストニア国会(Riigikogu)の決議で、タリン中心部にあった第二次世界大戦記念の旧ソビエト軍兵士像(青銅の兵士、タリン解放記念碑)を撤去することになると、それに反対するロシア系住民(エストニア住民の約4分の1がロシア系である)が大規模な反対運動を始め、それがサイバー攻撃につながったと言われている。