嫁選びの真っ最中に、野間家二代目を襲った青天霹靂の禍いとは

大衆は神である(56)
魚住 昭 プロフィール

久原房之助の娘も

久原(くはら)財閥の創始者で政界の有力者でもあった久原房之助の娘が候補に上がったこともある。中里が麴町の久原邸に写真を撮りに行ったら、娘は素晴らしい美人で、人柄もよかった。

それと前後して久原房之助から「恒さんに会って親しく話をしたい」という意向が報知の政治部記者を通じて恒に伝えられた。恒は清治の了解を得たうえで東京郊外の久原の別荘を訪ね、一夕会食した。その時の印象を恒は「やっぱり久原という人は偉い。息子か何かのように非常に親しくふんわりと包んでくれた」と漏らしている。久原の人格に強い感銘を受けたのである。

 

しばらくして、久原から「自分の娘を恒さんにもらってもらいたい」という意向が同じ政治部記者を通じて、清治に伝えられた。しかし、清治が講談社の幹部に久原家の内情を探らせたところ、恒の花嫁候補になった娘は妾腹で、嫡出子でないことがわかったため、清治が断った。

それが、恒の本意であったかどうかはわからない。恒は内心はどうあれ、清治の言葉にはいつも素直に従っていたから、このときも表だって異を唱えなかったようだ。

皇族と縁続きに

2.26事件が起きた昭和11年、清治が待ちに待った縁談が皇族の賀陽宮(かやのみや)恒憲王(つねのりおう)から持ち込まれた。庶民的な宮様として人気のあった賀陽宮は、以前から報知新聞と縁が深く、社長の清治一家とも面識があった。

ある日、賀陽宮は丸ノ内会館に気心の知れた報知の幹部を呼び出し、好物の白葡萄酒のグラスを傾けながら言った。

「私の親戚に恒君にちょうど良い娘がいるんだが、どうだろう」

陸軍省軍事課長の町尻量基(まちじりかずもと、子爵。のちに軍務局長)の長女・登喜子(ときこ)のことだった。

町尻は公家の出で、妻の由紀子は賀陽宮の姉だったから、その娘の登喜子は皇族の血をひく“お姫様”である。しかも、すらりとした体つきの美人で、清治にしてみれば本人もよし、家柄もよしの理想的な花嫁だった。

中里によれば、その年のうちに恒と登喜子は婚約した。しかし、登喜子の母である由紀子が病に伏したため、挙式は先延ばしされた。

翌昭和12年の4月ごろから登喜子は日曜ごとに目白邸を訪ね、恒と2人だけの時間を過ごすようになった。おそらく恒の生涯で最も楽しかった時期だったろう。