嫁選びの真っ最中に、野間家二代目を襲った青天霹靂の禍いとは

大衆は神である(56)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

野間清治によって帝王学をたたき込まれた跡取り息子・恒も結婚適齢期を迎える。何よりも家柄にこだわる清治は、嫁選びを慎重にも慎重を期して進めるが、その最中、思いもしない禍いが野間家を襲う——。

 

第六章 雑誌王の蹉跌──巨星、墜つ⑴

本人もよし、家柄もよし、でなければ

ことの次第を順序立ててご説明するため、まずは恒の結婚にまつわる話をしておきたい。恒が天覧試合で優勝する以前から、清治と左衛による恒の花嫁選びが水面下で進んでいた。

『婦人倶楽部』編集部員の中里辰男がそのことに気づいたのは昭和8〜9年ごろだった。中里は当時、『婦人倶楽部』の“良家のお嬢さん”企画を担当していた。どこかにいいお嬢さんがいるという情報が入ると、写真を撮りに行って、それを口絵に載せる係である。

一方、清治と左衛は女子学習院や雙葉(ふたば)高等女学校の教師らに手を回し、恒の妻になるべき女性を探していた。そのうち、中里が調べて写真を載せるお嬢さんと、清治や左衛のルートでリストアップされるお嬢さんがしばしばかち合うようになり、中里は清治と左衛から、実際に本人と会った印象を聞かれることが多くなった。

のちに愛新覚羅溥傑(あいしんかくらふけつ/満洲国皇帝・愛新覚羅溥儀〔ふぎ〕の弟)の妻となる嵯峨浩(さがひろ/侯爵嵯峨家の長女。自伝の題名にちなんで『流転の王妃』と呼ばれる)をはじめ、いろんな良家の令嬢たちが恒の花嫁候補として浮かんでは消えた。いつもは決断の早い清治が、こと恒の結婚話になると、迷いに迷い、踏ん切りをつけることができなかったからである。

あるとき中里が、女子学習院を一番の成績で卒業した実業家令嬢の写真を『婦人倶楽部』に載せたところ、目白の社長邸に呼ばれ、その令嬢についての感想を聞かれた。

中里は「僕は非常にいいお嬢さんだと思います」と答えた。

左衛は、この令嬢との縁談に乗り気で「お父さん、そんなにいろいろ言ったって、お父さんの言うような人はありはしませんよ。もう、この上のお嬢さんなんてのは滅多にないから、この辺でもらうようにしたらどうですか」と言った。

中里の見るところでは、左衛は花嫁本人さえ良ければ、家柄はとくに良くなくても構わないという考え方だった。が、清治は本人もよし、家柄もよし、でなければ満足できなかった。

結局、このときも清治が、もっといいお嬢さんが他にいるだろうという思いを捨て切れず、縁談は成立しなかった。