ある日突然、エリートが「加害者」となったシンプルな理由

犯罪者を生み出す「不幸」の正体
阿部 恭子 プロフィール

「子どもを殺して私も死ぬ……」

日本では、加害者家族の中でも特に、犯罪者の親に対して厳しい批判が寄せられる。

犯人が40歳でも50歳でも「親」としての責任を追及され、親たちは謝罪を余儀なくされる。親が死ぬまで養育者という役割を期待されることは、拗れた親子関係にさらなる悪循環を招くことになる。

引きこもり生活は、親が働かない子どもの生活費を援助することによって成り立っている。

 

つまり、親の援助が子どもの自立を妨げているのだ。親が経済的援助を断つことができない背景には、子どもが家の外で事件を起こした場合、社会的制裁を受けるのは家族であり、家庭内で問題を止めておこうという発想が少なからず影響している。

子どもはそうした親の弱点を見透かして、家族を支配するのだ。他人に迷惑をかけるくらいなら、家族が犠牲になる。家族の問題は家族で処理すべきという発想が、親子の共依存関係を断ち難くしているのである。

子どもは家庭だけで育つものではない。大人になっても未熟な部分は残り、成長させる場所は家庭ではなく社会のはずある。親であっても、いつかは子どもの成長を社会に委ねなければならないはずだ。

「子どもを殺して私も死ぬ……」

子どもが罪を犯した親たちから何度も聞いた言葉である。我が子に手をかけなければならないほど追いつめられ、悲しむ親たちの姿に、共に涙を流したこともある。

しかし、親に子どもを殺す権利はない。親子であるからといって、人の命を奪うことが正当化されてはならない。