『三国志』はなぜ、日中戦争の最中に大ブームになったのか

局アナが語る「三国志の日本史」⑥
箱崎 みどり プロフィール

『三国志演義』を通して中国を理解しようとする姿勢は、1912年の久保天隨『新譯/演義三国志』や、1926年の最上哲夫『三國志物語』などには見られないため、日中戦争以前は、同時代中国の理解と『三国志演義』は、はっきり結び付けられていません。

日中戦争期に読者の間で中国への関心が高まり、もしくは、高まったと判断して、出版がそれに応えようとする状況下で、『三国志演義』は、江戸時代から読みやすい大衆文芸として日本でも長く愛されてきたために読者の興味が見込めること、歴史物語かつ物語の中心は戦闘であり、実際の戦況と地名が重なり、人物像も重ねられることなどから、多数の再話が出版されることになったのではないでしょうか。

従軍経験が中国の見方を変えた

日中戦争中、実際に中国に住み、中国人の妻と暮らしていた村上知行の他にも、吉川英治と野村愛正は、従軍記者として中国大陸に赴いています。ここでの経験が、『三国志演義』の再話に大なり小なり影響を与えたことは想像に難くありません。

吉川英治の中国大陸への従軍は2度。1937年8月の北支事変後の情勢視察と、1938年9~10月の「ペン部隊」としての海軍の揚子江溯江作戦従軍です。特に、1回目の従軍は、東京日日新聞の求めに応じたもので、作家の従軍に先鞭をつけるものでした。

ところで、当時の日本人の中国観について、歴史学者・阿部猛氏は、従軍した兵士たちは、実際に中国に行きその雄大さに感心したり、中国人兵士の敢闘を讃えたり、中国の人々を自らの家族と重ね合わせたりしていたと言い、中国人に対して、敵という意識がなく、憎しみも持たなかった日本兵がいたことを指摘しています。

阿部氏は、大部分の日本人が中国を蔑視、劣等視していた中、理解の必要を呼び掛ける者が、中国に実際に触れた人々を中心に存在し、政府も、大東亜共栄圏の創設に向け、蔑視を除こうとしていたと言います。

これは、後の大東亜共栄圏の同胞となるものの、その時点では戦わなければならないという、「敵」としての設定の曖昧さによる部分も大きいでしょう。

従軍記者・吉川英治も同じように、中国人を完全に敵とは認識していません。兵士たちと同じように、実際に自分の眼で見た中国大陸の雄大さに打たれ、中国への理解の必要性を強く感じ帰国するのです。しかし、国内で形成された、蔑視の感情から完全に解放されることもありませんでした。

討つべし、また、愛すべし」という、相反する見方の間で、吉川英治は揺れながら、従軍で得た体験や感慨を随筆や『三國志』本文中に盛んに用い、吉川が見た中国を日本の読者が少しでも知ることができるよう紹介に努めていくことになります。

精力的に書かれた多数の随筆に加え、『三国志』でも、原作にはあまりない、民衆の置かれた厳しい状態を、感情を加えずに描写する場面があり、吉川英治の関心と経験を窺わせます。

 

大きな衝撃

もう1人、従軍後に「三国志」を再話した作家・野村愛正は、1938年11月に海軍ペン部隊に参加しました。

野村はこの従軍で、広東郊外で命乞いする老婆が刺殺される場面に遭遇し、大きな衝撃を受けます。残虐行為を平気でできるのは、子どもの時の教育が間違っていたものと考えた野村は、児童文学の執筆に移ったといわれています。

従軍が、作家活動全般に大きな影響を与えることになったのです。従軍前は吉川と同じく大衆文学者と自己規定していた野村は、従軍で受けた衝撃からか、帰国後は、元々携わっていた児童文学に専念。大人向けの創作に復帰するのは戦後10年ほど経ってからになります。

日中戦争中に、中国理解を促す意図も持って書かれた野村『三国志物語』の本文中にも、正しい戦争を称揚するというような態度はなく、原文から逸脱しないお話の中に、民間人を痛めつける兵士への控え目な非難が織り込まれるに止まっています。

情操教育のためにも

同じように従軍を経験した吉川英治と野村愛正の二人。

野村の見たものが吉川のそれと違っていたのか、それとも同じような酷い状況を目の当たりにしながらも両者の態度に違いがでたのか、今となっては分かりませんが、従軍後も文筆活動を続ける中で、戦争体験を生かそうとした吉川と、戦争体験を語らずに子どもの教育に熱意を傾けた野村の差は明らかです。

しかし、両者が日中戦争という時代状況を意識した上で『三国志演義』の再話という点で一致したことは、当時の『三国志演義』が持っていた性格を語る上で、特筆すべきことでしょう。積極的な意図をもって戦争体験を伝えるためにも、戦争という非常時における情操教育のためにも、『三国志演義』は利用されたのです。

こうして、日中戦争下で生まれた「三国志」の再話にどのような特徴があり、今にどう繋がっているのか、それは別の機会に。

<参考文献>
(これまでのものに加えて)

弓館小鰐『西遊記』(世界大衆文學全集67巻、改造社、1931年)
弓館芳夫『西遊記』(第一書房、1939年)
弓館小鰐『西遊記』上(第二書房、1949年)
野村愛正「朝草刈り」(『農民文学』6号、1956年)、138-153ページ
吉川英治「溯江従軍点描」『婦人倶楽部』(1938年11月号)
「次の夕刊小説」(『中外商業新報』一九三九年八月二十四日夕刊)

阿部猛「日中戦争期の日本人の中国観」『日本異文化研究会』No.2、(2006年8月)、1-14ページ
石崎等「村上知行の〈北京〉」(『立教大学日本文学』94巻、2005年)、88-98ページ
杉内徒司「連句人野村愛正」〔臼井吉見・小田切秀雄・瀬沼茂樹・水上勉・和田傳
『土の哀歓』(土とふるさとの文学全集2、家の光協会、1976年)、月報2-3ページ

【編集部より】箱崎みどりさん初の著書『三国志の日本史(仮題)』(講談社現代新書)が8月20日に刊行予定です。どうぞご期待ください!