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# 世界史

『三国志』はなぜ、日中戦争の最中に大ブームになったのか

局アナが語る「三国志の日本史」⑥

皆さん、こんにちは。ニッポン放送のアナウンサー、箱崎みどりです。

普段はラジオ局、ニッポン放送(AM1242FM93)でアナウンサーとして働いていますが、実は大の「三国志」好き。

いよいよ本日から、東京国立博物館で特別展「三国志」が行われます!(101日からは、九州国立博物館で!)「三国志」は、改めて注目を浴びることでしょう。

さて、私が愛する日本の「三国志」の豊かな世界。第6回では、吉川英治の『三国志』も含めた、日中戦争下の「三国志」ブームについて、お話ししていきます。

日中戦争下に5作品も

前回第5回では、曹操を魅力的に描いた「三国志」は、吉川英治『三国志』だけではないとお話ししました。日中戦争下、『三国志演義』を語りなおした再話作品が、大人向けのものだけで5作品も出版されていて、その中には、吉川『三国志』に似た近代的な傾向を持つ作品もあったのです。

 

いただいたご感想には、「曹操は、失敗も多いが、挫けず逆転を期し勝利する様、先見性や文化性の高さ、人間臭さも面白い。大英雄と言って差し支えない人物」とか、「曹操も魅力的な悪役だけれど、吉川『三国志』で本当に魅力的に格好良く描かれていると思うのは、関羽と孔明だ」など、人物の描き方、捉え方にまつわるものが多く寄せられました。

今回は、なぜ日中戦争下に、交戦中の敵国であった中国の古典小説「三国志」ブームが起こったのかを、詳しく見ていきましょう。

現代化、常識化

まず、第5回の末尾に掲げた作品リストをおさらいしましょう。

岡本成蹊『新譯三國志』(八紘社、1939年7月)
吉川英治『三国志』[『中外商業新報』1939年8月26日夕刊-1942年10月30日夕刊]
同『新編三国志』[『日本産業経済新聞』1942年11月3日夕刊-1943年9月5日夕刊]
村上知行『三国志物語』第1巻-第3巻(中央公論社、1939年11、12月、1940年2月)
雄山閣編『三国志』(物語近世文學 第15巻、雄山閣、1940年8月)
弓館芳夫『三国志』(第一書房、1941年1月)

これらがどんな作品なのか、吉川『三国志』、村上『三国志物語』、弓館『三国志』については、評論家・桑原武夫氏が分かりやすくまとめています。

村上知行氏はこの作品を「泥のついた櫻んぼ」に比し、そのまま口に入れるのは氣がきかぬとして、洗滌された。弓館芳夫氏は「ダダ長い」原作を鈍行列車に比し、急行化を計られた。吉川英治氏は「三國志には詩がある」から簡略化には反對で、かえつて「自己の解釋や創意をも加へ」られた。かくして何が失われ、何が得られたかは出來た文章を一讀すれば判然とする。要するに三氏の仕事は現代化常識化の一語につきる。

桑原氏は、それぞれの序などから執筆姿勢を引きつつ、長さや反復、定型の繰り返しという『通俗三國志』の長所が失われているとして、村上、弓館、吉川、それぞれの「三国志」を批判しています。

これは、一方で、この3作品が『通俗三國志』から離れた、新しい作品であったことを示す評論でもあるのです。

著者の強烈な個性が光る

明治時代の評釈や翻訳、子ども向けの再話は、漢学者と児童文学の書き手によるもので、これらの著述は彼らの仕事の範囲内のもの。『三国志演義』は漢学と児童文学の領域で扱われていたことが分かります。

一方、第3回で、孔明の評伝の作者が、学者から次第に多様化していったことに触れましたが、日中戦争期の大人向けの『三国志演義』再話作者も、多彩な経歴を持っています。

 

岡本成蹊は英語教師で英文学者、吉川英治は大衆小説家、村上知行は中国在住の中国通、雄山閣の編集者の依頼による書き手たち、弓館芳夫は毎日新聞のスポーツ記者と、書き手の個性は強烈です。

様々な背景や個性を持つ書き手たちが『三国志演義』の再話を行ったため、漢学や児童文学とは一線を画した個性豊かな再話が生まれました。出版社側も、色々な人に、その人ならではの「三国志」を書くように依頼したともいえるでしょう。