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まさか! 530年前の「英国王の遺骨」が、駐車場から発掘された?

「歴史のウソ」をDNA鑑定が暴いた話
2012年8月、イギリスのレスター市の駐車場で正体不明の遺骨が発見されるというニュースがありました。この骨は、かのシェイクスピアの戯曲でも取り上げられたイングランド王・リチャード3世のものであると見られ、DNA鑑定がおこなわれました。はてさて、最新のDNA鑑定による調査結果は……?

「戦死」した最後の国王

「馬をくれ、馬を! 馬のかわりにわが王国をくれてやる!」(小田島雄志訳『シェイクスピア全集』白水社刊より)

1485年8月、30年におよんだ英国王室の権力闘争が、最終盤の重要局面を迎えていた。赤い薔薇(ばら)を記章とするランカスター家と、白い薔薇を記章とするヨーク家が争ったことから、後世、「薔薇戦争」とよばれる闘いである。

現国王を擁するヨーク派に対抗して王位を争ったランカスター派を率いるリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、ボズワースの戦いにおいて軍勢の劣勢を跳ね返し、優位に立っていた。

追い詰められた国王は冒頭の台詞を発し、起死回生の戦いを挑むも、非業の死を遂げる。英国王室の歴史上、3人目にして最後の戦死者となったその国王の名は、リチャード3世。わずか32歳での夭逝(ようせい)であった。

リチャード3世 Illustration by gettyimages

それから約80年後──。

リチャード3世を討ったリッチモンド伯ヘンリー・テューダーがヘンリー7世として即位し、統治を開始したテューダー朝下に、のちに「英語を用いて創作した最も偉大な作家」と評されることになる人物が誕生する。

詩人であり、劇作家であった、ウィリアム・シェイクスピア(1564-1616年)その人である。

ウィリアム・シェイクスピア Illustration by gettyimages

シェイクスピアの“お気に入り”

リチャード3世とシェイクスピアには、因縁浅からぬ関係がある。

壮絶な死を遂げた国王は、シェイクスピアの“お気に入り”として、彼の三つの作品に登場する。なかでも有名なのは『ヘンリー六世』と『リチャード三世』で、いずれにおいても醜悪な姿をした悪役として描かれている。

『リチャード三世』は、シェイクスピアが初めて特定の人物を主人公に据えた作品として知られる。そしてその成功は、この劇作家が名声を築いていく礎(いしずえ)となった。

同作は再三にわたって各国の舞台で上演され、映画化も複数回なされている。とりわけ有名なのが、英国を代表する名優、ローレンス・オリヴィエが自ら監督、脚本、主演を務めた1955年の作品だろう。

ローレンス・オリヴィエが演じた『リチャード3世』 Photo by gettyimages

『リチャード三世』がこれほど広く支持される理由の一つに、極端な異貌として描かれ、異様な存在感を発揮する主人公=リチャード3世の悪魔的な魅力があることは間違いない。

なにしろ、シェイクスピアは劇中で彼を、長兄・エドワード4世の子どもで後継者と目されたエドワードと、その弟のリチャード(つまり、彼自身の実の甥たち)を殺害し、さらには次兄のクラレンス公と自らの妻である王妃アンまでをも手にかけた“極悪非道な王”として描いているのだ。

ところが、すっかり悪役のイメージが染みついたリチャード3世は、謎に包まれた王でもあった。実際の人物像は、シェイクスピアが描いたものとは異なるという指摘も残されている。また、王妃アンの死因についても、長く患っていた結核が原因とする説もあり、詳細はわかっていない。

それでは、シェイクスピアはなぜ、リチャード3世をこれほど醜悪な人物として描いたのか?