2017年12月、写真家の幡野広志さんはブログ上で、自らが多発性骨髄腫という難治性のがんにかかっていることを公表した。彼が刊行した『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために』には、幡野さんが身体の異変に気づいた日から診断・告知に至るまで、そしてがん公表後に出会った人々との話が綴られている。

特筆したいのは本書が、幡野さんの言葉や勇気に共鳴した人々に、幡野さんが直接話を聞きに行き、まとめていった記録でもある点だ。闘病、教育、虐待、家族、そして死。さまざまなテーマについて幡野さんが全身全霊で取材して、記した軌跡ともいえる。そこには、なんらかの生きづらさを抱えて生きる私たちが社会で暮らすための、大切なヒントが散りばめられている。

インタビュー・文/梅津有希子

『写真集』(幡野広志/ほぼ日)より(C)Hiroshi Hatano
幡野広志(はたの・ひろし)/1983年、東京生まれ。2004年、日本写真芸術専門学校中退。2010年から広告写真家・高崎勉氏に師事、「海上遺跡」で「Nikon Juna21」受賞。 2011年、独立し結婚する。2012年、エプソンフォトグランプリ入賞。2016年に長男が誕生。2017年多発性骨髄腫を発病し、現在に至る。著書に『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』(PHP研究所)、『写真集』(ほぼ日)、『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(ポプラ社)。

がんを公表したら電話が鳴りやまなくなった

がん=「不治の病」というイメージが強いが、医療の進歩で治るがんも増えている。たとえば同じ血液がんでも、5年生存率が6割台に達する「悪性リンパ腫」は根治の可能性がある。それに対し、幡野さんがかかった多発性骨髄腫という血液がんは、難治性、つまり「治らないほうのがん」だった。医師に余命を聞いたところ、「個人差はあるものの、中央値は3年です」と告げられた。

ブログ上でがんを公表したのは、2年前、2017年12月のこと。多発性骨髄腫の確定診断を受けた幡野さんは、翌々日に入っていた撮影の仕事をキャンセルするため、クライアントに断りの電話を入れた。自分が末期がんであることを正直に告げ、ドタキャンとなることを詫びた。するとそこから、仕事関係者を中心に噂が広まり、電話やメール、SNSの通知音が鳴り止まなくなった。ブログ上でのカミングアウトを決意したのは、連絡してくるすべての人に病状を説明するのが辛かったためだ。

ところが、ブログをアップしたところ、さらに大変なことになってしまったという。

「ブログを見た、小学校や中学校の同級生からも電話が来るようになりました。スマホのバッテリーがすぐになくなるくらいずっと鳴りっぱなしで、あまりの大変さに携帯を解約して番号を変えたんです。20年前にたった3年一緒だった奴からも連絡が来るくらいですから、たぶん地元で噂が広まるんでしょう。『病気になったら周りにも知らせる』というのが日本の文化なんでしょうね」

知らない人からも連日たくさんのメッセージが届いた。「自分も病気なので気持ちがわかる」といったものから、悩みの告白や相談など、その数は2000件を超えた。

「病気と全然関係ないメッセージも多いです。15年くらい前に北海道で架空請求詐欺をしていたというおじさんから連絡が来たことも。1ヵ月で1億稼いで、仕事も辞めたそうです。そしたら最近、彼の親がオレオレ詐欺にあって、自分がとんでもないことをしていたと気づいたとか。苦しんで僕に連絡してきたのでしょうね。

話を聞いたところで僕が何か出来るわけではないので、ただ聞いてほしいのだと思います。『これまで誰にも言えなかった』という許しを請うような人や、犯罪経験者からのメッセージは今でも来ます」

自らがんになった人、家族ががんになった人、がんとは全く関係のない悩みを寄せる人……波のように押し寄せてくるメッセージを読んでいるうちに、それらの人たちに会って話を聞いてみたいと思うようになった。放射線治療を終え、抗がん剤治療が始まるまでの間に、「メッセージをくれた人を取材して本にまとめよう」という目標が出来、写真家としてこれからの道が見えた気がした。

「がん経験者や生きにくさを抱えているような人、医療従事者など、100人近い人に会って話を聞きました」