作家・池澤夏樹が語る「科学という信仰」の限界と可能性

科学は「楽しい」ものだからこそ…
伊藤 達也 プロフィール

人間が絶滅しない保証はない

――一方で、私たちは科学に「絶対」を求めたり、権威付けとして利用する場面も多いのではないでしょうか。このことを考えても、必ずしも科学を楽しめていないし、論理的な思考力も身についていないように思います。

僕は科学というのは、信仰に似ているんじゃないかと思う。科学に従って世界を理解し、自分の生き方を規定して、なるべく合理的に生きようという、私たち個々人のとっての「努力」のようなものだと。信仰も、神の言うことに忠実に生きようという「努力」でしょう。例えば宇宙の原理なども、自分を超えた何かを信じるという意味では、信仰に似ている。

ただし、進化生物学者のリチャード・ドーキンスは徹底的に宗教を否定するわけですけれど。

 

――宗教と進化論の対立はよく知られていますが、では人は進化をキチンと認識できたかといえばそうではない。本書でも興味深いのが、教科書でおなじみのヒトの「進化」の絵。毛むくじゃらの獣が二足歩行になり、ホモ・サピエンスになり、最終的に白人の男性になる…。この絵の印象が強いせいか、進化は一本線で表せるというような勘違いに捕われている人は多いです。

いまだにあちこちであの絵を見かけますが、「進化」の意味を取り違えていると感じます。今の我々、ヒトの学名はホモ・サピエンス・サピエンスですが、ヒト亜族がチンパンジー亜族と別れたあとでも、少なくとも12種のヒト族が生まれて、たった一つ、すなわち私たちを除いて消滅した。人間の進化は一直線ではなく、いくつもの分岐から成る。数々の絶滅の先に、私たちがいるんです。

そして私たちは、言語と道具を持った人間を哺乳類の究極の姿、最終型のようには思ってしまうけど、検証すれば人間は非常に危なっかしい存在です。文化を持つぶん異常に速く進化したものの、それだけ絶滅の可能性も高まっている。一般的に、進化は絶滅とセットですから。人間が絶滅を免れられる保証はどこにもないのです。

――しかも絶滅は、どうにもならない理不尽から起こると紹介されています。運・不運に支配されている自然から、必ずしも科学が人間を救ってくれるわけではないと気付かされます。

それなのに、人は「努力すれば報われる」と信じたがる。そのほうが気持ちいいからでしょう。「進化」を信じたがり、「科学」を完全なものとして信仰してしまうのと同根でしょうが、実際には運で決まる側面があるのです。

いま本書を読み返して辛いのは、本書で語った「よそ見運転をして乗り上げた先に子供がいた」ケースを、当然、池袋の自動車暴走事故のニュースを見る前に書いたこと。もちろん被害は努力したら防げたものではなく、運であって、科学はそれを確率論で説明する。けれど、どんな議論をしても子供が帰ってくることはない。「世界のあり方の基本原理だ」と書きましたが……今では辛い答えです。

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