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作家・池澤夏樹が語る「科学という信仰」の限界と可能性

科学は「楽しい」ものだからこそ…

なぜ科学は「精神主義」につながったのか

――池澤夏樹さんの新著『科学する心』は、大学で物理学科に籍を置いたことがあり、これまでも、自らの作品に科学的題材を織り込んできた池澤さんが、文学的な眼差しを保ちながら、科学について論じるエッセイ集です。

扱う話題は、身の回りの生き物から、人工知能や生物学の最新の知識まで多岐に渡り、科学の知識の有無にかかわらず楽しく読み通せます。まず、「科学する心」という矛盾するタイトルに目がひかれますね。

作家として、本のタイトルは目立つようにしないといけないと考えるものです。そこで片仮名にしたり、長くしてみたりするんだけど、「科学といえば昔いやにモダンな言い方があったな」と思い出したんです。

実は「科学する心」とは、1940年代に作られた言葉なんです。提唱した橋田邦彦は生理学者である一方で、仏典や江戸時代の陽明学者・中江藤樹にも詳しいという変わった人物。ある意味でマルチであり、ある意味では一貫性がない人です。

科学と心を繋げることは言葉の意味からすると撞着です。しかし日本国民は科学的な、論理的な思考力を持たなければならないという思いから、撞着を承知で、あえて強い言葉を橋田は作ったのです。

――しかし橋田は、政治家としての顔も持っていました。1940年に第二次近衛文麿内閣の文部大臣に就任し、1943年に辞任。つまり、太平洋戦争開戦時の閣僚だったと本書でも紹介されています。

「質量保存」は科学の基本原理で、無から有は作り出せない。石油がなければ戦争ができないことは明々白々だし、食糧を持たせぬまま兵士を戦地に送れば兵士は餓死する。あの戦争は、合理性を全く欠いていました。「科学」とは程遠い原理、「心」で戦えという精神主義に陥っていたのです。

その戦争を、橋田がどんな気持ちで見ていたのか。それはとても興味深い。しかし、彼は敗戦後、A級戦犯として連行される前に青酸カリで服毒自殺をし、彼の真意はわからないままになりました。

 

「科学する心」という言葉は、科学的態度を持つためのスローガンとして生まれたにもかかわらず、時代は結局、不合理な戦争へと突き進んで行った。今回、科学についてのエッセイを書くにあたって、「科学」に付きまとうこうした落差を持ちだしたら面白いのではないかと思いました。

――本書では、昭和天皇・裕仁のヒドロ虫類というクラゲの仲間を研究した生物学者としての一面も紹介され、「彼こそが、科学する心の体現者だったのではないか」と論じられます。先日譲位した上皇・明仁も魚類学者としての顔を持っていますね。

科学というのは人間臭さを排除するから、帝王たちに向いているんです。歴史学はどこまでいってもお互いの偏見になってしまうし、人間絡みの学問をすると、「天皇がやっている」ということが認識を歪めてしまう。なので、客観的にやれるのは科学しかない。

もともと博物学は、王侯貴族の趣味という色合いが濃かった。王宮内に一室を設けて世界中の珍しい標本を並べて競い合うことを、ドイツ語では「驚異の部屋」(ヴンダーカマー)と呼んだのです。

池澤夏樹さん(撮影:岡田康且)

昭和天皇の政治的評価は難しく、言い出すとキリがありません。ただ、彼の人生にとってこれだけは楽しかったと言えるのが、「客観的」になれる生物学の研究だったのではないでしょうか。本書では、先日譲位をした上皇が、皇太子時代から皇居にいる狸の糞を採取して生態系を調べていたエピソードも紹介しましたが、科学というのは、本来はそういった没頭すると楽しいものだと思うのです。