『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない

ベストセラー「深く知る」ための読み方
藤田 直哉 プロフィール

「Jホラー」を生んだ科学の変化

その時代の科学や技術をモデルにして、生命観や人間観が生み出されていくという事例は、他にもある。

たとえば、九〇年代の日本でブームになった「Jホラー」というジャンルがある。それは、遺伝子が解析され、生命の設計図であるDNAすら、「GATC」という四つの塩基で計算されるデジタルな情報なのではないかという「生命観」の変化を背景にしていた。

生命が情報であるならば、貞子のように、ビデオテープの中に生命が宿ってもおかしくはないではないか? 同様に、コンピュータに意識が宿ったり、AIが情愛を抱いたりするかもしれない。このような「情報=生命」という新しい想像力がこの時代にどうも不安と共に生み出されたらしい。

〔PHOTO〕iStock

二〇〇〇年代の日本で流行った「ゼロ年代思想」もその類であろう。これはインターネットとコンピュータの爆発的発展に触発された思想だった。代表的論客・東浩紀は、『動物化するポストモダン』で、「オタク」を「データベース動物」であると述べた。

この「データベース」という言葉遣いに、彼がインターネットとコンピュータの爆発的発展に影響を受け、コンピュータのアナロジーによる人間理解を行った形跡を観察することができるだろう(東自身も、人間理解の「モデル」が変化したのだとする文章を残している)。

二次元キャラクターを、コンピュータと人間の「インターフェース」のようなものと考える独自のキャラクター論と相まって、この思想はゼロ年代に熱狂的な支持を受けた。これはコンピュータ、ネット、オタク文化の爆発的な普及にインスパイアされた、人間理解・自己理解の新しい「考え方」を生み出す運動だったと総括してもいいのではないか。

距離を置いて「歴史の視点」で現在を見る

詳述はしないが、アメリカで流行している「加速主義」もまたそれに類する思想である。サイバティック文化研究ユニットという研究会にいたニック・ランドが提示した思想で、「ムーアの法則」的に発展していくコンピュータ、あるいはシリコンバレーの経済的成功に触発された思想だろうと思われる。

思想とSF、真面目なものと荒唐無稽なエンターテイメントという風に人は分けて考えがちだが、状況に触発された新しい考え方を生産するのか、新しい想像力を生産するのかの差であり、どちらも人類の「考え方・感じ方」に影響を及ぼし変化させるものとしては等価な側面がある。実際、東浩紀やニック・ランドは、SFをはじめとするフィクションに大きな影響を受けている。

 

ぼくたちはこれらの思想に、意識的にか無意識的にか巻き込まれているわけだけれど、ちょっと冷静に、距離を置いて、歴史の視点から現在を見ても良いかもしれない。ひょっとすると今流行っている思想も「心霊写真」のようなものにすぎないかもしれない、という視点を持つ必要があると思うのだ。

『ホモ・デウス』から学ぶべきは、未来の変化の予測だけではない。このような歴史を通貫する「変わらなさ」をも見るべきなのだ。そして、私たちの価値観や考え方、想像力などが、あくまでも相対的なものであると知るべきなのだ。それこそが『ホモ・デウス』が「人文書」として書かれている所以なのではないだろうか。

私たちが生きる世界も、価値観も確かに変わっていくだろう。しかしそれは同時に、「心霊写真」に過ぎないかもしれない。新しいテクノロジーに触発されて生み出され、現在支配的になってきている人間観・文明観・経済観――たとえば「データ教」――は、さらに未来から見た場合、笑える時代の徒花になっているのかもしれないし、あるいは、現在の既存の価値観こそが信じがたいほど時代遅れのあり得ないものと見做されているかもしれない。

どちらであるにせよ、一度、人類の営みや、私たちがそこから自由でない現行の価値観すら相対化する視座に立たせてくれて、見渡す視野を与えてくれることこそ、『ホモ・デウス』の意義である。