『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない

ベストセラー「深く知る」ための読み方
藤田 直哉 プロフィール

それを受けてマルクスは、一八四〇年代に「史的唯物論」と呼ばれる歴史観を作り上げた。当時は産業革命も起こり、資本主義も勢いを増し、大混乱している状況だった。一挙に状況が変化し世界が変わっていく中で、マルクスは、資本主義の先に「社会主義」が来ると考えた。

これは今ある変化がどのような意味を持つのかについての「説明」として有効性を持った。そして、未来に待っているユートピア的世界についてのビジョンも訴求力を持ったのだ。

 

人類は「物語」を必要とする

これらの哲学は、今読むと、妄想的な「物語」に過ぎないと感じられるのだが、それを信じる人が増えたことにより、現実に影響を及ぼした。ハラリは、宗教とは、人類の協力行動を可能にし発展を促すための「物語」だと述べており、今紹介したような哲学も形を変えた宗教のようなものと考えている

おそらく、二〇世紀にはその役割を、SFが果たさざるを得ない状況があった。特に、第二次世界大戦以降の日本では、敗戦と戦後の科学技術立国化の中で生きている自身を意味づける物語が希求されざるをえなかったのだ。

そして今、コンピュータが発明され、人間の知性の優位性が疑われている。脳科学により自由意志が疑われ、行動経済学やインターネットにより主体性すら疑われている。「人間」存在のアイデンティティが揺らぎ続けている。その中で、何かを捨て、何かの先に向かわなければならない。多くの人々は、そのようなプレッシャーを与えてくる現代社会のシステムの中に組み込まれて生きている。

その生の意味、そのシステムの意味を、人は求めるのだ。その「希求」が生み出す現代版の神話・宗教を、『ホモ・デウス』は批判的に抉りつつ、同時に、現代の神話・宗教の役割を担おうとしている。だから、SFに似る。役割として、似るのだ。

人は「意味」を必要としてしまう。「意味」とは、何かについての「物語」だと言ってもいい。多くの人は、資本主義のシステムの中で文明に参加し、そこで苦労して一生懸命に、種全体の単位での発展や進歩に寄与して生きている。それが全く無意味だとしたら、わざわざその苦痛を我慢する謂れがないであろう。そこに意味づけがあるほうが、生きる活力も沸くだろうし、やる気も出るものである。

また、人間は不思議なもので、無意味で不要な苦痛を被った人は、そのことを「意味がある」「意義がある」と思いたくなるという実験結果がある。無意味で無意義なことであったとしたら、それを自身が蒙り耐えなければいけなかったことを精神が認めることができないから帳尻合わせのためにそういう思い込みを作るのだろう、と推測される。