『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない

ベストセラー「深く知る」ための読み方
藤田 直哉 プロフィール

SF・科学・宗教

ハラリの発想のうち、SFと近しい部分は他にも数多くある。

たとえば、人類は自分自身を改造し「超人」になるというアイデアは、「サイバーパンク」というムーブメントを主導した作家ブルース・スターリングが、1980年代に『スキズマトリックス』などで描いたものに極めて近しい。

また、人類が、神なりなんなりの超越的な存在に向かって「進歩」しているのではないかと考えることも、SFの中では一つの典型となっている。自然を征服し、能力を拡張し続ける人類の進歩の歴史を考えれば、当然そう考えることは筋が通っている。

SFを代表する一作と言って良いアーサー・C・クラークの『幼年期の終り』は、人類がより高次元の存在であり「オーバーマインド」になり意識を融合させる様子を描いたし、日本ではそれに影響を受けた小松左京が、仏教寄りのビジョンで『神への長い道』という作品を書いている。

SFとは、科学と技術を題材に、それらによって人間や社会がどのように変わるかを思索する傾向のあるジャンルである。しかし、「神」の問題も常に思索してきたジャンルである、というのが、ぼくの印象だ。

科学と宗教は対立しているもの、と感じられている読者も多いのではないかと思われる。だが、SFは、科学や技術について考えるがゆえに、それを生み出し発展し続ける人間という存在や、歴史についての思索を誘うのだ。人類は何のために生きていて、未来はどうなるのか、歴史は何のために進んでいるのか、なぜ生まれてなぜ死ぬのか。その疑問に答えを与える装置が、かつては宗教、後には哲学、そののちにはSFであった、と言ってもいいだろう。

 

たとえば、哲学について考えよう。一八〇七年、ヘーゲルが『精神現象学』という本を書いている。この本の前後では、フランス革命は起こるわ、国と国とはドッカンドッカン戦争しているわ、ナポレオンがフランスからドイツに侵攻してくるわで、大変な時期だった。そのときにヘーゲルは「弁証法」というのを考えて、正と反が戦う結果「合」が生まれ、高次元のようなものになるという考え方を提示した。

要は、何かと何かが戦う結果、より高次のものが生まれるという発想で、『精神現象学』は、そうやってより高次になり続け「絶対精神」にまで辿り着くというストーリーが語られている。『ドラゴンボール』でより強い敵と戦い続けてスーパーサイヤ人のレベルがより上がっていくような感じである。