『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない

ベストセラー「深く知る」ための読み方
藤田 直哉 プロフィール

そして「意識」がなくなった(昏睡などではなく、見た目としては普通に動いて生活をし社会を営んでいる)人類は、ネットや生府などの決めた方針に従って最適な生き方をして、「調和」する。それが『ハーモニー』である(これは、個人と社会を良い方に導くために、意識的な思考ではないところで自然に何かを選ばせるようにしようとする、行動経済学の想定する人間観・社会観の延長線上にもある。「ナッジ」を想起してほしい。なお、伊藤は行動経済学の影響を公言している)。

マーケティング理論の第一人者であるコトラーは、『コトラーのマーケティング4.0』で、ネットの出現により消費者は「社会的同調のウエイトが全般的に高まって」(p32)おり、「個人の購買決定のほとんどが、本質的には社会の決定によるものになる」(p33)と分析している。実際のマーケティングの世界は既にそう分析されているのだから、自由意志による決定を人々が望まなくなるというのは荒唐無稽な話ではないのだ。

 

SFはテクノロジーと社会の変化を扱う

人間よりアルゴリズムの方が正しい判断を、より早くたくさんできるようになっている領域はたくさんあり、既に実現しているものも多い。たとえば株の取引は既に9割近くが人間ではないものによって行われていると言われる。経済という重大な物事に影響する「株」を私たちは既にアルゴリズムに委ねているのだから、より多くの物事をそうしていく傾向は加速すると予測される。

「私」よりも早く正しい判断を、たとえばAIができるようになったときに、それを使わないでいられるとは、到底思えない。

『ハーモニー』は、そのようにネット+脳科学というテクノロジーの影響で、人間や社会がどのように変化するのかを思索的に描いた作品である。使われているのは「外挿法」という技法で、今ある価値観や技術などが未来に極端に普及した場合に何が起きるかをグロテスクに誇張して見せつける文学技法である。

それが不思議と『ホモ・デウス』と近しい認識を示している。おそらくどちらも、テクノロジーがもたらす変化を鋭敏に感じ、それが今後どのように推移するのかをspeculative(思索的・投機的)に考えたゆえに、近しい結論にたどり着いたのだろうし、現在の人々にある程度警告しようという意図があるがゆえに、近い技法を用いることになったのだろう。

伊藤は「SFというのは社会とテクノロジーのダイナミクスを扱う唯一の小説ジャンル」だと認識しているという発言を残している。同時代に起こっている技術的な変化と価値観の変化に鋭敏に反応した両者が近しいアウトプットを、ジャンルは違えど提示するのは、それほど不思議ではないのかもしれない。