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『ホモ・デウス』は現代人に生の意味を与える「宗教書」かもしれない

ベストセラー「深く知る」ための読み方

『ホモ・デウス』はSFに似ている

歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』を読んで、不思議な既視感に襲われた。似たような内容を、SF小説で何度も読んできたような気がするのだ。しかし、「荒唐無稽」なフィクションであるSFと違い、本書は歴史学者の書いた人文書であるということになっている。この類似点と違いはどういうことなのか、眩暈のような感覚に襲われたのだ。

人類のこれまでの歴史の進歩と、現在の科学や価値観を根拠にし、近い未来にはどのようなことが起こるのかを語ったのが本書である。

そこで語られている内容を紹介すると、人類は「死」を克服し「不死」に至る、科学技術によって自身の心身を改造して「超人」に至る、意志や意識に価値の重きを置く「人間至上主義」の時代が終わりビッグデータを基にしたAIによる判断により高きを置く「データ至上主義」の時代になる人類がエリート層とそうでない層に分裂する……などである。SFが描きそうな物語ではないか。

なぜ、この書物は、SFと似ているのだろうか? そしてそのことには、どういう意味があるのだろうか?

そのことを考えていくために、本稿では、『ホモ・デウス』と、SF作品を比較しながら考察を進めていくことにしたい。

 

「人間の時代」が終わる

ハラリの主張を、筆者自身の理解と咀嚼を経た上で要約すると、以下のようになる。

人類はこれまで、自分たちの生存の障害になる「自然」「病気」などを科学技術や社会制度の力を通じて克服し、力を増大させ続けてきた。次第に社会の問題の克服にも向かい、最近では心の問題の克服にも向かっている。

そしてついに、バイオテクノロジー、遺伝子操作、脳科学などの技術を得た人類は、老いることや、死ぬことそのものの克服にも着手し始めている。人類史の発展は、人類の力を増大させ、「神」に近づくプロセスである。

自身の遺伝子、身体、脳すら改造し操作可能な対象として扱う現在の科学・医療の考え方の底には、人間や生命は「アルゴリズム」であり、情動や思考や幸福も「生化学的なプロセス」であるという捉え方がある。

たとえば「鬱」になったとする。「人間至上主義」の時代、つまり、近代であれば、それを「メランコリー」と呼び、詩的な情緒に彩られた文学作品にしていたかもしれない。

しかし今では、おそらく標準的な治療は抗鬱剤の投与であろう。そこで選ばれる薬はSSRI=「選択的セロトニン再取り込み阻害薬」やSNRI=「選択的セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬」であることが多い。つまり、脳内の化学物質であるセロトニンやノルアドレナリンの量や流れを調節することで、心理的・主観的な現象をコントロールする治療が一般的なのである。