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彼はソ連のスパイだったのか?「昭和の怪物」瀬島龍三の正体

「大本営作戦参謀」の虚実

「ソ連スパイ説」は本当だったのか

瀬島龍三は「大本営参謀」「シベリアでの抑留生活」「伊藤忠商事の幹部」「行財政改革の立て役者」と、4つの時代を生き抜いた「昭和の怪物」だった。

だが、死後のいまでも謎に満ちているのが、前半生の部分だ。「ソ連(現・ロシア)のスパイだったのでは?」との疑念が解けないのである。

初代内閣安全保障室長を務めた元警察官僚の佐々淳行氏(故人)は、著書『私を通りすぎたスパイたち』で、「昭和三十年代、ソ連大使館員の尾行を続けていると、その館員と接触する日本人ビジネスマンがいた。それが瀬島だった」と記している。

瀬島は大本営参謀だった太平洋戦争末期の'44(昭和19)年12月から翌年2月にかけて、単独でモスクワ出張に出る。自身の回想録『幾山河』には、「外交・軍事機密文書を在モスクワ日本大使館及び武官府に届ける役目」で、「私の偽名は『瀬越良三』だった」と書いている。

 

日本が日ソ中立条約の継続を望み、広田弘毅元首相をモスクワに派遣しようとしていた時期の重要任務だったが、瀬島は回想録で「遠くない将来、ソ連の対日参戦は不可避となるだろうと思わざるを得なかった」と、思わし気な述懐をしている。

日本の敗戦時、関東軍作戦参謀として満州に赴任していた瀬島は、ソ連軍との停戦交渉を担った。ここでも「60万の日本人をシベリアに送る密約を交わした」との説があるが、回想録で否定している。

その後、11年のシベリア抑留生活を送ったが、その間、'46(昭和21)年10月には、「ソ連側証人」として東京裁判に出廷。抑留中も過酷な野外労働ではなく室内労働だった。

ノンフィクション作家・保阪正康氏も疑惑の目を向ける。

「ソ連人が記した『シベリア抑留秘史』がソ連崩壊後に出た時、瀬島は日本語翻訳版の監修を務めて改竄。私がそれを指摘すると『事実を書いて何が悪い』と開き直りました」