西鉄の黄金期を支えた一匹狼「ショート・豊田泰光」を語ろう

玉造陽二×村山泰延×デーブ大久保
週刊現代 プロフィール

村山 チームメイトでライバルの中西さんが選手兼任監督になって、折り合いが悪くなったという見方もされましたが、球団経営がすでに苦しくなっていて選手待遇が悪くなっていたことは間違いない。豊田さんはわかりませんが、それを理由に出て行った選手もいましたから。

大久保 豊田さんは'72年に近鉄で1年間だけコーチをやりましたが向いていなかったと思います。普通なら球団や監督に気に入られるように動きますが、そういうことはできなかったでしょう。

 

玉造 最後まで生き方がブレることはなかった。

大久保 もう10年くらい前にフジテレビの会合でお会いしたのが最後になってしまったんですが、その前から体調が良くないとの噂があった。それを豊田さんに伝えたら「勝手に殺すんじゃねぇ!」と言って、意地になったのかワインをバカバカ飲んでいた。弱みを見せたくない人でした。

玉造 僕は亡くなる半年くらい前に西鉄の仲間のお店で会った。西武ライオンズが我々をOBとして認めてイベントに招いてくれたことを喜んでいたね。

村山 「西鉄とは関係ない」という考えだった西武に豊田さんが働きかけて繋いでくれた。我々西鉄OBにとって本当に嬉しいことでした。

玉造 僕にとってはプロ野球の恩人。あの人がいたからプロで13年間もやれたと思う。感謝しかない。

大久保 高校の大先輩というだけでなく、父親のようなところもありました。そして何よりも野球を愛していた。「ちゃんとグラウンドに顔を出せよ」という豊田さんの教えは、今も胸に刻まれています。

玉造陽二(たまつくり・ようじ)/'36年茨城県生まれ。水戸一高から豊田の2年後に西鉄入団('55年)。俊足巧打の外野手として活躍。31歳の若さで引退し実業家に転身
村山泰延(むらやま・やすのぶ)/'38年福岡県生まれ。'57年に西鉄ライオンズに入団。'58年には28試合に登板。稲尾和久、河村久文、西村貞朗らとともに西鉄の投手陣を支えた
デーブ大久保(でーぶ・おおくぼ)/'67年茨城県生まれ。本名は大久保博元。水戸商から西武に入団。'92年巨人に移籍。引退後はコーチを経て、楽天の監督に就任。現在は解説者
豊田泰光(とよだ・やすみつ)/'35年茨城県生まれ。81歳没。水戸商時代から高校No.1遊撃手の評価を受け、'53年に西鉄ライオンズに入団。甘いマスクから女性人気も高かった。通算成績は1699安打、263本塁打、888打点。'06年殿堂入り

『週刊現代』2019年6月22・29日号より

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