西鉄の黄金期を支えた一匹狼「ショート・豊田泰光」を語ろう

玉造陽二×村山泰延×デーブ大久保
週刊現代 プロフィール

「野球を舐めるんじゃねぇ」

村山 でも、豊田さん自身は相当悔しかったみたいです。著書にも「正々堂々と勝負して獲りたかった」「首位打者は汚点」とまで書いていた。

玉造 三原さんの親心だったわけだけど、豊田さんの性格を考えれば、それは本音だな。

大久保 汚点とまで言えちゃうのが豊田さんの凄さですよね。

玉造 確かに他人にだけでなく自分にも厳しい人だったけど、その一方で、面倒見のいいところもあった。僕が西鉄に入団したころ、合宿所で「俺の部屋に泊まれ」って。周囲に「そんな新人と一緒の部屋でいいんですか」と言われても「うるせぇ」と返して、三原さんの許可を取りに行ってくれた。

しかも、少ししたら「俺はもっと広い部屋に引っ越す」と言って、僕がその部屋に住み続けられるようにしてくれてね。

 

大久保 僕がプロに入るきっかけを作ってくれたのも豊田さんでした。当時西武の監督だった広岡達朗さんに「高校の後輩におもしろいバッターがいる」と言ってくれて、スカウトが見に来てくれた。

その後も、「高校のうちから木のバットで打っておけ」と、いろいろなプロの選手のバットを30本くらい送っていただきました。よく折れる木製バットはカネがかかって高校生は何本も買えないので、ありがたかったです。

玉造 でも、引退後、解説者になってからも、すぐ怒る性格は変わってなかったよなあ。「水戸っぽ」だから(笑)。

大久保 僕が選手時代、二軍にいたころ、フジテレビの『プロ野球ニュース』で、豊田さんがわざわざインタビューに来てくれたことがあったんです。ところが「おめぇ、サボってやっているんじゃねぇぞ」って怒られて。普通は30歳以上も年が離れていると甘えられるじゃないですか。全然、甘えさせてくれないんですよ。

ともに西鉄を支えた中西太(右)とはライバルでもあった(『週刊現代』より)

玉造 ただ、ネチネチした怒り方じゃない。根に持たない。言ったら、もうさっぱりしている。そのへんがいいんだよね。こっちもそういう性格をわかっていたから「はい、わかりました~」って。

大久保 言いたいことは、遠慮しないタイプですから。野球中継のテレビスタッフもビシビシ叱っていた。ディレクターだって毎日、試合を見ているんですけど、「このピッチャーは今日はダメですね」なんて軽く言うと「おめぇに何がわかるんだよ。野球を舐めるんじゃねぇ!」と本気で怒っていました。

基本的に解説者はテレビ局に雇われている立場ですけど、豊田さんは一切、媚を売ったりしない。あれは格好よかったです。

村山 確かに評論家としての豊田さんも魅力的でしたが、個人的には西鉄で現役生活をまっとうして、将来は指導者になると思っていました。

玉造 そうだな。'62年オフに国鉄スワローズにトレードで移籍したときは正直驚いた。

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