西鉄の黄金期を支えた一匹狼「ショート・豊田泰光」を語ろう

玉造陽二×村山泰延×デーブ大久保
週刊現代 プロフィール

当時は珍しい「強打の2番」

大久保 現役引退後、解説者になってからも、だれに気兼ねすることもなく、辛口の野球評論を続けていました。長嶋監督や野村監督の采配も平気で批判していましたから。

玉造 松坂(大輔)や清原(和博)などスター選手でも手を抜いたプレーをすれば容赦なかった。でもあれは、野球を愛するがゆえのことだったのでしょう。よく毒舌だと言われましたが、すべてはプロ野球の未来を考えての発言だった。

大久保 当時西鉄を率いていた三原脩監督も、選手の自主性を重んじる人だったようですね。

 

玉造 三原さんは「水戸っぽ」が好きで、豊田さんのそういう一本気なところを買っていた。

村山 水戸っぽ?

大久保 水戸人のことです。一般的に「理屈っぽい」「怒りっぽい」、そして「骨っぽい」気質とされているんですけど、豊田さんはその通りの人ですよね。

玉造 高校時代から自由奔放というか、ちょっとアウトローで、すでに野武士のような雰囲気があったもの。

村山 高3の夏に甲子園に出て、翌'53年に西鉄に入団。1年目からショートのレギュラーを獲得して打率2割8分1厘、当時の高卒新人記録の27本塁打で新人王に輝く。ただ、エラーは年間45個にものぼりました。

玉造 博多のファンはキツいから、エラーしようものなら「やめろ」「替えろ」とヤジがすごかったそうです。でも、三原さんは豊田さんを替えなかった。将来、チームを背負っていく選手だと見込んでいたんです。

村山 僕は'57年に西鉄に入団したのですが、マウンドで投げていて豊田さんの守備に不安を感じたことはなかった。試合に出続けることで、守備も向上したのでしょう。足も速かった。

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玉造 若いときは盗塁も30個前後マークしている。でも、豊田さんは、やっぱりバッティングの人だよ。

大久保 僕も現役中は「守備なんて気にしなくていい。打てばいいんだ!」と、よく言われました。でも、当時の豊田さんの映像を見ると参考にはできない打ち方ですよね。振りに行く直前にバットのグリップを大きく上下させて、あれでよくミートできるなあと感心しました。長嶋さんのフォームとも似ていますよね。

村山 グリップを低く下げてから鋭く振って、ライナーで弾き返していく。

玉造 あれは天性の感覚だよ。

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