「野球をやめたい」
山川は、喜代子さんの前でポツリと弱音を吐いた。母子ふたりで、すべてをかけてきた夢が、いま潰えようとしている。
だが、喜代子さんが見せた反応は、意外なものだった。
「別に、いいよー」
あまりにも穏やかな口調に、山川のほうが思わず拍子抜けした。そして、母はこう続けた。
「でも、せっかくだから次の大会で負けるまではやってみたら」
11月の1年生だけの大会に出場してから、やめればいい。喜代子さんの言葉に従った山川は、その試合で、思いもよらぬ奇跡を起こす。
4番に抜擢されると、左中間に飛び込む完璧な当たりのホームランを放ったのだ。意外にも、山川にとって人生初となる一発だった。
「あの一本がなければ、僕は100%野球をやめていた」と、山川は後に語っている。
この日、喜代子さんはスタンドでビデオ撮影をしながら観戦していた。
後日、山川が映像を見返すと、ホームランを打った場面から、画面がガクガクとブレている。気丈な母が、声をあげて泣いていた。
この出来事が、山川の野球人生の転機になった。迷いを捨て、長距離打者としての才能に磨きをかけていく。そして、2年生の秋には、ついに不動の4番の座を確保した。
「打てる選手は監督やコーチの言うことを聞かずに『俺が、俺が』となってしまう子が少なくない。でも、彼は最後までそういうことがなかった。ああいう素直さは、お母さんの教育によるところが大きいはずです。
思えば、ウチの子はみんなミズノ製の良い道具を使っていました。グラブもバットも、何万円もする。穂高のお母さんも工面するのは大変だったと思います」(中部商業時代の盛根一美監督)
山川は、2年生秋から4番の座を守り、最後の夏に沖縄大会の決勝まで進出した。だが、2年生エース・島袋洋奨(現・ソフトバンク)を擁する興南高校に、2-4で敗れ、甲子園出場は逃している。
涙を飲んだ山川は、母の元を離れて岩手県の強豪・富士大学へと進学。1年生から4番に座り、大学通算で11本塁打を放つ。気づけば、プロのスカウトから注目を集める選手になっていた。
'13年10月24日に行われたドラフト会議で、山川は西武からドラフト2位で指名を受ける。契約金7000万円、年俸1200万円(金額は推定)。
契約金の使い道を尋ねられると、山川は愛嬌抜群の笑みで「一人で育ててくれた母に、かわいい車を買ってあげたい」と答えた。支え続けてくれた喜代子さんに、はじめての恩返しを果たした瞬間だった――。