西武・山川穂高「新・ホームラン王」とその母が、人知れず流した涙

ふたりで見た「どこまでも飛ばす夢」
週刊現代 プロフィール

平日は朝から晩まで仕事をして、帰れば腹をすかせた息子のために食事を用意し、土日の応援も欠かさない。すべてを一人でこなした喜代子さんが、疲れをおぼえないはずはない。それでも、懸命に夢を追いかける息子に、片親という理由で引け目は感じさせたくない。

そんな母の思いは、息子の心にも痛いほど伝わる。この頃から、山川はチームの誰よりも練習に打ち込むようになった。

 

「中学生の時はすでに規格外の飛距離の持ち主でした。もっとも、最初はいまのような丸々とした体型ではなかった。標準よりは大柄だったと思いますけど、締まっていて『ガタイがいいな』というくらいだったはず」

こう回想するのは、山川が中学時代に所属したヤングリーグ「SOLA沖縄」のチームメイト、宇地原陸氏だ。

チームの練習は、週4回。他の仲間が親の運転する車で送り迎えしてもらうなか、山川は自宅から練習場所までの15kmほどの距離を、毎日マウンテンバイクで行き来していた。それでも、不満をこぼすことはなかった。

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「土日の大会になると、両親がそろって応援しにくることが多いですが、穂高だけはお母さん一人でした。決して口に出すことはなかったけれど、お母さんへの思いはとても強かったと思います。遊びたい年頃なのに、他の選手が監督の目を盗んでふざけていても、穂高は黙々と練習に打ちこんでいた」(前出・宇地原氏)

人生初のホームラン

そして、愛称の「アグー」(沖縄産の豚)のもととなったいまの体型が作られたのも、この時期だ。

中学入学前は40kg台だった山川の体は、高校に入る頃には、すでに90kg台まで増えた。

県立中部商業高等学校の野球部でチームメイトだった山内智晴氏は、山川のすさまじい食欲を目の当たりにした一人だ。

「一度、僕の両親がやっている焼き肉屋に同級生みんなを招待したことがあるんです。そうしたら、穂高は食うわ食うわ……。ご飯といっしょに、3kgぐらいの肉は食べたんじゃないですかね。両親は『穂高はもう連れてくるな!』と冗談で言っていました。アイツの身体は間違いなく、肉とコーラでできています(笑)」

いっぽうで、この高校時代に山川は野球人生でもっともつらい時期を迎えている。

中部商業は上下関係が厳しかったことにくわえて、1年生はなかなかベンチにさえ入れてもらえない。誰よりも練習している自負はあるのに、グラウンドに立てず、応援席で試合を眺める毎日。

悶々とした日々を過ごすなかで、ある日、山川の心の糸が切れた。