西武・山川穂高「新・ホームラン王」とその母が、人知れず流した涙

ふたりで見た「どこまでも飛ばす夢」
週刊現代 プロフィール

山川穂高が生まれたのは、'91年11月23日のこと。生まれてすぐに、両親は離婚している。

山川が1歳から年長になるまで通った那覇市内の保育園の園長・立津順子氏は、喜代子さんから、「穂高」という名前の由来を聞いたことがある。

「お母さんが、中部地方に旅行で訪れたとき、山頂に白く雪を残した北アルプスの穂高岳を見て、とても感動したのだそうです。私も含めて、沖縄の人間は雪に馴染みがないですから。『もし男の子が生まれたら、きっと穂高と名付けよう』と心に決めていたそうです」

穂高岳(Photo by gettyimage)

立津氏は、喜代子さんの印象を「子供を黙って見守ることができる人だった」と語る。

 

「幼い子供は、なかなかうまく靴を履くことができずに、時間がかかってしまうことが多いでしょう。皆さん、夕食の準備などがありますから、たいていは我慢できずに手を貸したり、半ば強引に抱き抱えたりして、そのまま帰ってしまう。

でも、穂高のお母さんは、幼い彼が一生懸命に靴を履こうとしているあいだ、何も言わずにただじっと見ていました。せかしたり、怒ったりすることもしない。雨が降っている日でも、傘をさしながら、穂高が自分でできるまでずっと待っていました。ふたりのこういう距離感は、あの頃からずっと変わっていないのではないでしょうか」

不満を言わない少年

山川は小さな頃から、アイススケートと水泳を習っている。しかし、こうした習い事も、母に強要されることはなかった。唯一、母の勧めで始めたのは習字。5歳から始めて、中学3年生にして八段を取得している。

いまでもサインのときに見せる筆跡は、書道家と見紛うばかりの見事さだ。

2018年の『週刊現代』の撮影では見事な揮毫を披露(『週刊現代』より)

そんな山川が、野球に出会うのは小学5年生のときだった。仲の良い同級生に誘われたのをきっかけに、地元の少年野球チーム「首里マリナーズ」に所属する。

当時を知るチームメイトの母親が、母子の印象を語る。

「穂高君はよく見ると、目尻が垂れていて可愛らしい顔つきをしているでしょう。あれはお母さん似です。彼女は小柄で、いつもニコニコしていました。当時は県内の団体で総務や経理の仕事をされていて忙しかったはずですが、休日の応援や送迎には、積極的に協力してくれていた。それでいて、余計な口出しは一切しない、控えめな人。

ただ、チームの父母会では『息子がプロ野球選手になりたいと言うので、全力で応援したいんです』と力強く語っていました。正直、チームの子がプロになるなんて誰も思っていなかった。でも、お母さんだけは穂高君の夢が叶うことを本気で信じていたのでしょう」