「ポリティカル・コレクトネス」は言葉狩り? 花王の事例が問う論点

差別的かどうかを議論するよりも…
石田 健 プロフィール

ポリティカル・コレクトネスとは

そもそもポリティカル・コレクトネスとはなんだろうか。

拙稿「ポリティカル・コレクトネスの時代とその誤解:なにが『ポリコレ疲れ」を生んでいるのか?」で述べた通り、ポリティカル・コレクトネスは政治的な目的・理念でもなければ、「正義」のような絶対的な規範でもない。

ポリティカル・コレクトネスを明確に定義することは難しい。

社会・政治的な変化を目的として言語・文化レベルから戦略的な変化を起こそうといういノーマン・フェアクローの見方や、多文化主義とともに現れた戦後アメリカの新たなアイデンティティであると捉えるマーティン・E・スペンサーのような見方もある。

ただこうした見方を踏まえても、ポリティカル・コレクトネスは1つの絶対的な規範ではなく、あくまでも言語・表現のレベルで摩擦を減らすための方法に過ぎず、「規範の調停」を目的としていると捉えることが適切だと考えられる。

〔PHOTO〕iStock

具体的に言えば、その特徴は下記3つの視点から説明ができる。

(1)ポリティカル・コレクトネスは、規範自体の是非を議論するのではなく、あくまでも表現・言説的な調停によって合意を図り、
(2)その合意(=コレクトネス)は、時代状況や規範の修正によって常に見直しが迫られる暫定的・政治的なもので、
(3)その調停は、功利的な観点から正当化されている。

 

具体的な事例を念頭に考えてみると、その輪郭が見えてくるだろう。

ポリティカル・コレクトネスの代表的な例として、過去に黒人を「Black(ブラック)」と呼んでいたものの、それらが侮蔑的な意味を持つ歴史があったことから、現在では「African American(アフリカン・アメリカン)」という呼称が一般的となっている。

しかしながら、「African American」という呼び方にも問題が含まれている。

黒人の中には世代を経てアフリカにアイデンティティを感じていない者もいれば、中南米に奴隷として送られた後、アメリカへ移民として渡ってきた者もおり、複雑なアイデンティティを有している。

そのため現在でも「Black」を好んで使用する黒人もいれば、2014年頃に生じた「Black Lives Matter(ブラック・ライヴズ・マター)運動」のように公に使用されることも少なくない。

「Black」と「African American」のどちらが適切か議論がある中で、ポリティカル・コレクトネスは絶対的な答えに辿り着くことを目的としない。「Black」という呼び方を「African American」に変えることで、あくまでも暫定的・限定的な措置を講じているに過ぎない。