現実的な目標は、事態が悪化しないように、アメリカとイランの共通理解の基盤を固める作業を行うということだ。
この場合に求められる最も根本的な共通理解とは、まずは「取引」が成立しない場合でも、武力衝突という最悪の事態は避ける意図を両者は共有している、という点の確認だろう。
武力衝突を避け続けている限り、事態を打開するためのチャンスをうかがう余裕が出てくる。一触即発の状況で、偶発的な事件によっても武力衝突へと発展していきかねない状況では、「取引」どころではない。
武力衝突の可能性が減退すれば、安倍外交は成功である。逆に、かえってその可能性が高まるようであれば、失敗である。どちらでもなければ、やはり安倍外交の評価もどちらでもない。
アメリカとイランの武力衝突は、日本の国益の観点から見ても、深刻な弊害をもたらす事態である。日本が武力衝突を避けさせるための努力を払うことは、日本にとって合理的である。ただしさらに言えば、アメリカとの同盟関係の強化が、日本の国益の中枢である。
その一方で、イランを含む中東諸国との良好な関係の維持も、日本の国益に沿うものだ。不用意に突出した外交姿勢で、アメリカとの同盟関係にひびが入ったり、中東諸国において日本への不信感が生まれたりするようであれば、マイナス面が大きくなる。安倍外交を失敗だと評価するのは、そのような事態が生まれたときだろう。
日本の首相のイラン訪問は1978年以来とされるが、それはまだイランがアメリカの同盟国だったパフレヴィー朝時代のことだ。
イランのイスラム革命は1979年に起こっているので、革命政権になってからでは初の日本の首相の訪問だったわけである。その初の首相訪問で、大統領だけでなく、最高指導者であるハメネイ師との会談も設定することができた。
まずはイランと日本の関係が安定していることを裏付ける重要な点であった。
日本政府は、ハメネイ師が核兵器開発の意図を持っていないことを明らかにした、ということを強調している。
もし核兵器開発の宣言でもされたら、破局だ。核兵器開発意図を否定する発言は、特に目新しい出来事とは言えない。
ただしその点も含めて、ハメネイ師の側から際立って敵対的な意図が表明されなかったことは、安定的な成果ではある。