春日権現験記絵模本(第六・閻魔王庁)東京国立博物館蔵

地獄から生還した、中世の人たちの証言から「見えてくるもの」

現代とは異なる「臨死体験」の意味

「地獄めぐり」といえば、大分は別府温泉にあるそれが有名だ。国の名勝に指定され、観光客も多数訪れる人気スポットだが、なぜ私たちは地獄に心惹かれるのか。現代新書最新刊『地獄めぐり』の著者がその背景を読み解く。

 

不気味なのに気になる理由

試みに、尋ねてみよう――「地獄はお好きですか?」と。

おそらく多くの人は「いいえ。私はできることなら死後に極楽へ行きたいと願っています。だから地獄は好きではありません」と答えることだろう。

そこで、質問を変えてみる――「地獄にご興味はありますか?」と。

「極楽に行きたいと思ってはいますが、万が一、地獄に堕ちないとも限りません。だから、地獄とは一体どんなところなのか関心がないわけではありません」――そういった答えが返ってくることが多い。

地獄に興味を持つ人は決して少なくない。それは、年配の方ばかりではない。老いも若きも男も女も、なぜか地獄に心惹かれる。

たとえば、女子大学にて美術史の講義をしていると、風景画についてよりも、肖像画についてよりも、地獄絵をテーマにしたとき、なによりまじめに学生たちは耳を傾けてくれる。そして、スライドで映し出される作品の数々やその細部の描写に学生たちの視線は集中する。教室は静寂に包まれる。とても不思議な雰囲気が生まれる。

若い彼女たちが皆、自分の死後の行く末を心配しているとは到底思われない。むしろ、彼女たちは今を生きる自分たちの感性に素直にしたがって、地獄絵に「まなざし」を向けているように感じられる。それが、不思議でしかたない。

美しいものに対して、心惹かれるのは自然なことだ。しかし、不気味なものに対しても、私たちの心は強く反応する。一体どうしてなのだろう?

そこで、私は考えた。私たちが地獄に関心を抱くのは、普段日常生活では気がつかない、意識を越えた次元にあるなにものかが、恐ろしいもの・おぞましいものを求めて止まないからではなかろうか。無意識のうちに、私たちは地獄に魅入られているのに違いない。

このたび上梓した『地獄めぐり』(講談社現代新書)は、こうした想いから、読者を地獄へと招待するための案内記だ。本書全体の構成に一瞥を与えておこう。

まず「地獄の誘惑」(第1章)では、地獄が私たちを魅了する心理的な根拠を探ってみたい。心の奥底にある「暴力」と「エロス」の欲動が、目に見えるかたちで発現しているのが地獄である。このことに、私たちの地獄への関心の深さは関わっている。

続く「地獄へ旅立つ」(第2章)は、地獄をめぐる旅路の出発点。まずは「死の山」「三途の川」「賽の河原」などの地獄の入り口を散策する。いずれも、その名称はよく知られているが、歴史的には奥が深い。

そして「地獄をめぐる」(第3章)で、いよいよ地獄の内奥へと歩みを進めよう。別の記事でも紹介したように、地獄はたとえるならば地下8階建てのビルのような構造をもつ。