2019.06.21
# 格差・貧困 # ライフ # 宗教

「人も宗教も頼りにならない」ニューハーフ僧侶が目指す救いとは

「半端者」だからできることがある
安宿 緑 プロフィール

必要とされる生き方をすれば、必ず助けてもらえる

相談を受けることで自らも救われた感謝の念から、金品は受け取らない。受け取っても気持ち程度で、交通費以外は返すこともある。

ある小学校低学年の女の子が、10円玉や5円玉をかき集めた数百円と引き換えに、ペットの葬式をあげてくれと依頼してきたときも、報酬にはこだわらなかった。

〔PHIOTO〕iStock

「金持ちにとっての100万円と、子供にとっての数百円の価値は比べ物にならない。だから、人の葬式以上に弔ってあげました」

ただでさえ、かとうを訪ねる依頼者は、方々で騙されてにっちもさっちも行かなくなった人ばかり。「高い鑑定料を受け取ってまで稼ごうとは思わない。生きているだけで十分ではないですか」とかとうは話す。

「相談者には末期ガンの人や、家族が自殺した人もいる。ある意味で、死ぬ前に死を迎えてしまった人に近づかなあかんのです。そこでお金が発生すると、どうしてもバウンダリー(境界)ができてしまう。それを否定するわけではありませんが、自分のスタイルとしては『ええよ、一緒に頑張っていこうよ』と無償で寄り添うほうが性に合っていた」

 

衣食住も、ほとんどは支援者からの厚意で成り立っている。

「先生うちでご飯食べてよ、と呼ばれることがしばしばです。孫に勉強教える代わりにご飯食べていってと言われることもあります。人に必要とされる生き方をしていれば、必ず誰かが助けてくれる。綱渡りの生活ですが、私が必要なければ、神仏はとっくに私をあの世に送っているでしょう」

履いているショートパンツも、娘のために近所のおばさんが買って不要になったものを100円で譲り受けたもの。下着や、靴も同じように入手した。風俗やAVで稼いだ現金も、自分のために使ったことはないという。

〔PHOTO〕iStock

「貧しくて、中学の制服を買えなかった女の子にカバンやらなにやら色々と揃えてあげました。『絶対に誰にも言ったらあかんよ、これは仏様から来たお金やから』と念を押してね」

かとうにとっての僧侶とは、自己犠牲ができる人だという。

「私みたいなめちゃくちゃな人間を見て、自分の生き方を肯定できる人がいてもいい。人はいつか自力で立ち上がらなければいけないけど、一人でも理解者がいれば出る力がまったく違う。だから、歩み寄りこそが救いになるんです」

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