2019.06.19
# 戦争

たった2日で3000人以上が戦死したマリアナ沖海戦の悲劇

からくも生き残った搭乗員の怒りの証言
神立 尚紀 プロフィール

2日間の空戦中、4隻の空母を渡り歩く

6月19日、第二航空戦隊の空母「飛鷹」から零戦に搭乗し、発進した香取穎男(ひでお)さん(当時大尉)は、

「最初、ぼくらは一航戦と同じ目標に向かうことになっていましたが、途中で、新たに発見された敵に向かえ、ということになった。ところが索敵機の報告した位置に誤りがあって、敵にとりつくことができなかったんです」

と回想している。

 

二航戦の攻撃隊は、連絡の混乱で敵艦隊を発見できないままにグラマンF6Fの襲撃を受け、7機を撃墜された。香取さんは、クルシーの電波を捉えて無事、空母「大鳳」に着艦している。ところが――。

「『大鳳』は、上空からは無傷に見えたんですが、攻撃隊が発艦した直後に敵潜水艦の魚雷一本が命中していたらしい。ぼくが艦橋に上がって、そこにいた六〇一空司令・入佐俊家中佐に状況を報告しようとしたとき、ドーンとものすごい爆発が起きた。目の前が真っ赤になって、あとのことは記憶にない。叩きつけられて気絶してたんでしょうね。目の前にいた入佐さんはこのとき戦死しました。気がつくと『大鳳』は沈もうとしていて、ぼくは海に飛び込んで3時間漂流したのち、駆逐艦に救助されました。拾われてから調べたら、着ていたライフジャケットの背中が黒く焼け焦げ、ズタズタに裂けていました」

空母「飛鷹」を発進した零戦搭乗員・香取穎男さん(当時大尉)の戦中・戦後(戦後の写真は撮影:神立尚紀)。香取さんは戦後、海上自衛隊に入り、アメリカから貸与されたかつての宿敵・アベンジャーの操縦桿を握ることになる

「大鳳」は、防御に重点を置いた日本海軍の最新鋭空母で、魚雷命中そのものによる被害は小さかったが、衝撃でガソリンタンクに亀裂が生じ、漏れ出た揮発性のガスが艦内に充満、大爆発を起こしたと推定されている。香取さんはその夜のうちに、駆逐艦から空母「瑞鶴」に移乗した。米機動部隊が日本機動部隊を発見、攻撃をかけてきたのは翌6月20日夕刻のことである。

「列機2機を引き連れて『瑞鶴』を発艦した。敵機を見つけたのは、ちょうど、カーチスSB2Cヘルダイバー(艦爆=急降下爆撃機)が編隊を解いて爆撃態勢に入るときでした。その上空には護衛のグラマンF6Fがいましたが、とにかく、爆撃の照準を狂わせないといけない。ぼくは敵艦爆の一番機が急降下に入る真横から20ミリ機銃をぶっ放した。すると敵機がグラリと揺れたから、あの爆弾は命中しなかったと思う。それから、雷撃機のグラマンTBFアベンジャーが、魚雷発射を終えて低空を離脱するのに出くわして、後ろに食いついて撃つと、敵機は水しぶきを上げて海面に突っ込んだ。次はF6F。もうだいぶ暗くなりかけた時刻で、たぶんぼくに気づかずにスーッと前を通り過ぎようとした。すかさず撃ったら、こいつも海へ突っ込みました」(香取さん)

しかし、邀撃した香取さんたち零戦隊の戦いもむなしく、この米軍機の攻撃で空母「飛鷹」が撃沈され、「瑞鶴」「隼鷹」が被弾するなどの損害を被っている。香取さんは、夕闇で零戦を敵機と誤認した重巡洋艦「最上」から主砲(20センチ砲6門)の対空射撃を受け、命からがら、無傷で航行していた空母「龍鳳」に着艦した。2日間で、「飛鷹」「大鳳」「瑞鶴」「龍鳳」と4隻の空母を渡り歩いたことになる。

藤本速雄さんは、「瑞鶴」艦上で敵機の空襲を受けた。

「私は、19日も20日の午前も飛んだから、20日の午後は飛ばなくていいと言われ、艦橋近くの対空機銃のところで敵味方の識別をして機銃員に指示を出す役をしてたんです。そしたら、急降下してきたアメリカの艦爆が投下した爆弾が、ビューッと「瑞鶴」の方に落ちてきた。あ、当たると思ってバッと伏せたら、右後方の高角砲のところにドーンと当たった。そこにいた20~30人が吹っ飛びましたよ、いっぺんに」(藤本さん)

昭和19年6月20日、米軍機の攻撃を受ける空母「瑞鶴」(奥)

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