Gさんとパートナー。6月17日、同性パートナーシップ宣誓のために訪れた千葉市役所にて(筆者撮影)

外国籍・ゲイ・HIVの「三重マイノリティ」男性が見た日本の不条理

在留特別許可「画期的判断」のその後

5月25日、東京・高田馬場。筆者はHIV/エイズに関する支援・予防啓発活動に取り組むNPO法人「ぷれいす東京」の活動報告会にいました。この日登壇する、HIV陽性者で台湾籍のゲイ男性、Gさん(50歳)の話を聞くためです。

今年3月、Gさんはパートナーの日本人男性や弁護士と記者会見を行い、その様子は新聞やテレビ、ネットメディアで広く報じられました。

Gさんは約2年前、日本人と外国人の異性カップルには事実婚状態であっても認められることが多い「在留特別許可」を、同性カップルにも認めるよう国を相手取って訴え、裁判が続いていました。今年3月に結審し判決が出る予定でしたが、結審を待たず、3月15日に法務省が「在留特別許可」を出したのです。

外国籍の同性パートナーに在留資格が与えられるのは、日本初の画期的な判断でした。

3月22日の会見にて

筆者はGさんの支援集会に参加したことがきっかけで、そのあとずっと裁判を傍聴していました。今回は報告会でGさんが語ったことを軸に、その軌跡と、まだマイノリティが生きやすいとは言えないこの国に、いまだ残された課題についてお伝えしたいと思います。

感染を知っても、治療が受けられない

2003年頃のこと。すでに10年近く日本でパートナーと一緒に暮らしていたGさんは、エイズを発症しました。それまでGさんは、HIVに感染していることを知りながらも治療を受けていなかったのです。

オーバーステイのGさんは健康保険もなく、医療費は全部自腹。頭痛がすれば頭痛の薬、熱があれば解熱剤と、発症を抑制する治療ではなく対症療法だけに頼っていました。

誰かに支援を求めれば、オーバーステイがばれ、強制送還されてしまう――。そう恐れていたGさんですが、やがて病状は悪化し、やせ細り、歩くのもままならない状態になってしまいます。

 

そしてようやく、医師から紹介された「ぷれいす東京」を訪ね、代表の生島嗣さんと会ったのでした。

生島さんや医師は、最低限の抗HIV薬による治療を受けてもらい、生活支援を始める一方、「台湾に戻って治療したほうがいいのではないか」と当時は考えていたそうです。

しかし、Gさんは日本で愛するパートナーと暮らし続けることを選びました。