「ずる賢い」人がトクする世の中、ルソーならどう考える?

苫野先生と「ずる賢さ」について考える
石井 徹 プロフィール

一般意思に反しない限りで、ずる賢くても構わない

苫野先生の答え:ずる賢さのこと、確かに理解できます。
その点も含め、『エミール』にはツッコミどころが色々ありますね。非現実的な部分もたくさんです。

 

ただ、「一般意思」との関係で言うと、こう言う必要があるかと思います。
「一般意思」というのは、社会(政府・権力)が絶えず目指さなければならないものです。より正確に言うと、一般意思のみが社会の「正当性」の根拠です。

もちろん、絶対の「一般意思」などはあり得ませんので、これは絶えず市民の吟味に開かれています。が、政府は兎にも角にも一般意思を代表することを目指さなければなりません。そしてそれに基づいて法が制定されます。

したがって、これに反する行為は処罰されることになります。

ということは、「ずる賢さ」は、法に反した場合当然罰せられることになるわけです。
逆にいうと、法(一般意思)に反しない限りは、どれだけ自由に、あるいはずる賢く振る舞おうがOKということです。

『エミール』には、「ずる賢くあれ」とはありませんが、一般意思に反しない限りは自分の自由をとことん追求していいという点は十分に含意されているかと思います。

その意味では、石井さんの物足りなさも、少しは軽減できはしないでしょうか?

つまり「ずる賢くなれ」は、ルソー的に言うと、「一般意思に反しない限りで、ずる賢くあっても構わない」と翻案できるわけです。直接そうは言わないけれど、理論的にはそうなるかと思います。

ちなみに、会社の意思は「一般意思」と呼ぶことはできないものでして、というのも「一般意思」はあくまでも国(政府・権力)が目指すべきものだからです。会社は、この「一般意思」に反しない限りで、それぞれの利益を追求する、ということになるかと思います。

苫野一徳
1980年生まれ。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。早稲田大学教育・総合科学学術院助手などを経て、現在、熊本大学教育学部准教授。専攻は教育学・哲学。著書に『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『教育の力』(講談社現代新書)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)等がある。NHK「ニッポンのジレンマ」の「教育」の回に出演し、「よい」教育とは何かを論じるなど、若手の教育哲学者として注目されている。