「ずる賢い」人がトクする世の中、ルソーならどう考える?

苫野先生と「ずる賢さ」について考える
石井 徹 プロフィール

結局世の中で得するのは「ずる賢い」人?

石井の質問:教師も親も一度は『エミール』に書いてあるように、子供を自主的に自由に育てたほうがいいと考えると思います。現在の学校教育も建前ではそう言っていますし、どこの学校のホームページを見ても『エミール』に書いてあるようなことが載せられています。

 

そういう意味ではルソーという人は後世に多大な影響を及ぼしたと思いますが、一方で『エミール』の育て方だと、社会で必要な「ずる賢さ」が育たないと思うのです。

『エミール』も『社会契約論』も理想論です。理念としては理解できますし、後世に影響を与え、それに沿って政治、社会そして教育も行われている部分は多々あります。『エミール』に則って育てた子どもはよい青年に育ち、その青年は自分の欲、すなわち「特殊意思」を押し殺してでも、共同体のためになる「一般意思」に身を捧げるでしょう。

しかし、私の考えすぎかもしれませんが、それでは「ずる賢い人」に利用されてしまうのではないかと思ってしまうのです。実際に社会に出てみると「ズルい」人の方が圧倒的に多く、そういう人たちの方が得をしているような気がしますし、そういう現実を何十年も見ている親としては悩みます。

具体的な例を挙げてみます。

私たちは社会の色々な組織に属さざるを得ませんが、多くの人の場合は会社に所属する会社員です。会社の「一般意思」といえば、一番に挙げられるのは「最大利益を得る」ことでしょう。

しかし実際は「一般意思」に身を捧げる人はごく少数で、だいたいは自分だけ肩書を得たい、得をしたいという人、つまり「特殊意思」しか持っていない人なのです。そして皮肉なことに、往々にしてそういう人の方が偉くなりやすく、出世をして経営側の人間になります。

経営側の人間はまさに会社の「一般意思」を遂行する権限がありますが、実行者たる権限を得た人が「会社」という共同体、そしてその構成員たる従業員などのことを考えることはまずあり得ないのです。

「特殊意思」しか持たない人が経営陣にいる会社は、そのままいくとまず潰れてしまいます。それでも何とか何十年と保っている会社もあるのは、その会社の中にエミールのような人たちがいるからでしょう。しかし冷静に考えると、そのような人はただ利用されているように思われるのです。

長くなりましたが、「エミール」の教育論には足りない要素があるのではないでしょうか?