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「ずる賢い」人がトクする世の中、ルソーならどう考える?

苫野先生と「ずる賢さ」について考える
「すべての教育者の教科書」である『エミール』、その著者ルソーの基本的な思想について、「まんが学術文庫」編集長であるわたくし石井が、またもや熊本大学准教授の苫野一徳先生に質問をぶつけてみました。話は野球からはじまって子育てへ、果ては会社での出世話にまで広がって…?

ホームランを打っても…

石井の質問:苫野先生、まずルソーの基本的思想にある「特殊意思」、「全体意思」そして「一般意思」について教えてください。

 

よく高校の倫理の教科書には、私利を追求する個々の意思が「特殊意思」で、その集合体が「全体意思」、そして共同体としての意思は「一般意思」書かれています。
もちろんこれは国と個人との関係だとはわかっていますが、敢えて卑近なプロ野球の例を出して考えるとこうなるのでしょうか。

チームという組織の最終目的は勝利、そして優勝です。一方でチームを構成する個々の選手の目的は、いいプレーをして高く評価してもらい、そして高い給料を貰うことです。
そうするとここでは「勝利及び優勝すること」が「一般意思」で、「ヒットやホームランを打ちたい」というのが「特殊意思」、それが9人いれば「全体意思」になると思います。

それを踏まえたうえで、どうしても勝たなければいけない試合でランナーが三塁、バッターボックスにホームランバッターが立っているところを想定してみましょう。サインはスクイズでしたが、バッターはそれを無視してホームランを狙って大振りをしたものの結局三振、そしてゲームセットになって負けてしまいました。

さて、このホームランバッターがホームラン王になるくらいのバッターであっても、チームの「一般意思」に反したのですから、処分を受けるのは仕方がないのでしょうか。

また、もしサインを無視してホームランを打って勝ったとしても、サインを無視した時点で「一般意思」を無視したことになるのでしょうか?

苫野先生の答え:野球の例、面白いですね。おっしゃる通りだと思います。

ただし重要なのは、その時のサインが本当に「一般意思」を代表し得ているかどうかは、絶えず吟味されなければならないということですね。

でもその上で、「一般意思」を無視して「特殊意思」を追求した場合、ペナルティを受けるのは当然ということになるかと思います。

それはいわば、町のならず者を殺すことで社会の安全が結果として保たれることになったとしても、その殺人自体は「一般意思」に反するものであるため、殺人者は裁かれなければならないということと同じことかと思います。