「父親の不在」と児童虐待

虐待事件の母親たちのケースを見ると、妊娠・出産・育児をともに喜び、ともに体験していくはずの父親の存在に何らかの問題があることが目に付く。

若年で出産に至ったケースでは、子どもの実の父親の姿はすでに出産時、もしくは子どもが乳児の時点でなく、シングルマザーとして一人で子どもを育てていかなければならない状況に追い詰められている。

心身ともにケアが必要な時期において、家計を支え、子育ての労力を分かち合う父親の不在は母親には大きなダメージとなる。その「父親の不在」を埋めるように、新たなパートナーが登場した際に、期待と同時に依存してしまうのだ。

ただ、そうした役割は生物学的父親でなくとも、また男性でなくとも代替できる。

実家や友人でも良いわけであるのだが、「夫婦に子ども二人」といった標準家庭モデルを示され続けられるうちに「男性が家庭にいることが安定につながる」「子どもの父親がいなければ」といったふうな思いつめ方につながっている向きもあるだろう。

そして、たとえば再婚して家庭ができ、子どもに義父ができたことでむしろ虐待リスクが高まることもある。

虐待は実父によるものも多いが、この場合も父親は家庭にいるものの、子どもたちの中で内面化されている父性機能、つまりは内と外、正邪の区別といった社会の掟やルールを示すものとしては十分な機能を果たせず、実は欠損しているというケースが多い。

つまりは目には見えているものの実際には「父親の不在」が起こっているのだ。

虐待する父親たちの共通項の中に無職、もしくは転職で母親が働き家計を支えていた、というものもある。

父親たちは自分たちが理想の父親とは程遠く、また父性機能の欠損も自覚しているからこそ歪んだ「しつけ」という道徳、モラルを盾にすることで、「男として」「父親として」の存在意義を確かめようとするのだ。