赤字転落のホンダで吹き荒れる「内紛」の全内幕

こんな会社に誰がした?
井上 久男 プロフィール

「出る杭」を打つ管理職

八郷氏がいら立っていたのは、開発部門から正しい情報が自分に上がってこなかったからだ。ホンダの役員が言う。

「他社に比べてあまりにも収益性が低いので、八郷社長が現状を調べ直したところ、主力車種『アコード』と『CR-V』では部品の共通化率が金額ベースでわずか0.3%。

設計改革をしていると開発部門は言いながら、全くできていなかったことに怒ったのでしょう」

こうした設計改革だけに限らず、昨年4月から八郷氏は全社的な改革運動「SED2.0プロジェクト」を開始した。Sはセールス(販売)、Eはエンジニアリング(生産)、Dはディベロップメント(開発)を意味する。

 

100年に一度の変革期を迎えている自動車産業の中で生き残っていくために、発想や仕事の進め方を全社的に見直そうというものだ。

その活動ではトヨタに対しても今のホンダについての意見を求めている。改革運動を紹介する冊子で、原価管理についてトヨタOBが「ホンダにはトヨタがコンプレックスを持つ対象であって欲しい。トヨタは何するものぞという気概でクルマづくりをして欲しい」とエールを送っている。

これでは、もはやホンダはライバルではないと言われているに等しく、屈辱とも受け取れるが、社内に危機感を煽るために敢えて載せているのだろう。

しかし、これがホンダ社内では頗る評判が悪い。若手社員は「現場から改革案をたくさん出しているのに、潰しているのはむしろ経営上層部。特に倉石副社長だ。こんな冊子を作ること自体無意味だ」と指摘する。

別の中堅幹部によると、実際、設計の共通化を推進しようとしたら、「業務が効率化されるとポストが減って困る」と言って、改革案を潰しにきた管理職も多かったという。

ホンダの開発部門には、行き場のない技術者崩れの管理職があふれ、こうした管理職は、何の専門性もなく、上司の意向を探ることと無駄な会議が大好きで、自己保身のためだけにリスクをとにかく嫌い、「出る杭」を打つ傾向にあるという。

「こんな組織でヒット車が出るはずがない」(同前)

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社員の平均年齢を見てもホンダは45歳。意外にも39歳のトヨタよりも高齢化が進む。

八郷氏自身が「ホンダは今までと同じような生き方をしていたら老衰してしまうかもしれない。いまこそ、生まれ変わるくらいの気持ちで生活を変えることが必要だ」と訴えているが、それもむなしく響く。

現場には倉石副社長への批判が渦巻く。ホンダでは創業者の本田宗一郎氏が夢を語り、それを後ろから支えたのが副社長の藤沢武夫氏だった時代の名残が今でも残っており、管理部門は副社長が束ねる。現在は倉石氏がその任にある。ところが、倉石氏は八郷氏が社長になる直前の上司だ。

「2人は同期入社で仲良しだった。伊東君から社長就任の内示を受けた時は八郷君が中国統括会社の副総経理で、倉石君が総経理だった。

社長になるとは思っていなかった八郷君が、倉石君に相談したら『俺が支えるからお前、受けろ』と言ったそうです。そうした関係から倉石君のほうが力を持っており、陰の社長は倉石君です」と、ホンダOBは解説する。人事権は倉石氏が掌握している。

八郷氏、倉石氏ともに中国の経験が長いので、中国事業の出身者が出世する傾向が強まり、主流派だった「米国派」との対立が深まったという。

「これまでホンダを支えてきた北米事業出身者がポストを寄こせと言って社内で抗議しているようです。

4月1日付で倉石君が会長になる案もあったが、これでは益々米国派の不満が募るので、その折衷案として米国と中国の両方を経験した神子柴寿昭君が会長に選ばれたのではないか」(同前)

もともと八郷体制はワンポイントつなぎの「短命政権」との見方があり、ポスト八郷には三部敏宏常務が有力視される。三部氏は現在、本体社長への登竜門である開発部門で子会社の本田技術研究所社長の地位にある。

三部氏は開発部門の中でも改革派として知られた。しかし、「三部氏があまりにも早急に改革を進めるので、倉石氏が『あまり改革をやり過ぎると次の社長の目はないぞ』と言って改革をつぶした」(前出OB)。

ところがここにきて、「改革が全く進まないのは倉石君のせいではないかと八郷君が気付き始め、仲良しだった2人の関係にひびが入りそうな状況」(同前)だそうだ。