フランス王家のひみつ なぜ名前が「ルイ」ばかりなのか?

「ルイ王朝」ブルボン朝の不思議
佐藤 賢一 プロフィール

最初はルイではなかったが・・・

そのブルボン朝からして、最初はルイでなかった。始祖となった王は、アンリ4世という。

「大王」と呼ばれた名君であり、それならばあやかりたいと、アンリ5世、アンリ6世と続いて、ブルボン朝はアンリ王朝になりそうなものだが、そうはならなかった。

 

やはり無頓着で、アンリ4世は次の王となるべき長男に、ルイとつけた。後のルイ13世だが、こちらはといえば自分の長男に同じルイという名前を与えた。ルイ王朝の始まりで、以後ルイ14世、ルイ15世、ルイ16世と続いていく。

革命の動乱で即位ならなかった16世の息子がルイ17世、復古王政でフランス王になった弟がルイ18世、そのまた弟はシャルル10世と違う名前だが、七月王政の「フランス人民の王」もルイ・フィリップと、またルイがつく。まさしくルイ王朝であり、そうか、全てはルイ13世のせいだったかと決めつけたくなる。

確かにルイ13世には、何か思うところがあったのかもしれない。が、自分の息子に同じ名前をつけることは、ままある。今だって「○×ジュニア」は珍しくない。問題は家門の伝統、一種の約束事として、王という王の名前が必ずルイになることなのだ。

もう少し詳しくみていこう。

ルイ13世の次がルイ14世だが、その長男が「大王太子」と呼ばれたルイである。そのまた長男で、ルイ14世の直孫にあたるのが、ブールゴーニュ公ルイだ。そのまた息子、ルイ14世の曾孫にあたるのがアンジュー公ルイで、これがルイ15世になる。

ということは、ルイ14世は息子よりも孫よりも長生きした。76歳で死ぬまで目を光らせて、代々の直系長子に必ずルイとつけさせたのは、このルイ14世だった可能性が高いのだ。

少なくとも、ここから王家の伝統になり、本当にルイだらけになっていく。

ルイ15世の長男も王太子ルイ・フェルディナンだ。そのまた長男がルイ・ジョゼフ・グザヴィエ、次男はいいかとグザヴィエ・マリー・ジョゼフと別な名前になったが、これに早世されてしまったので、三男もルイ・オーギュスト、四男もルイ・スタニスラス・グザヴィエとして、ようやく五男でシャルル・フィリップと別の名前がつけられた。

ルイ15世も息子より長生きして、孫に王位を継がせることになったが、保険をかけておいて正解だったといおうか、ルイ16世として即位したのは三男のルイ・オーギュストだった。その7歳で死んだ長男がルイ・ジョゼフ、ルイ17世と呼ばれる次男がルイ・シャルルである。ルイ16世の弟、兄弟の四男ルイ・グザヴィエが復古王政のルイ18世で、次がシャルル10世なのは、革命の動乱あって五男に御鉢が回るという、まさにまさかの即位だったからなのだ。

続く七月王政のルイ・フィリップは、ルイ14世の弟、オルレアン公フィリップを家祖とする親王家の出だった。ここでは2代はフィリップの名前を継いだが、3代になるとルイ、それからは折衷案か、4代、5代、6代とルイ・フィリップを名乗った。やっぱりルイがつく。ルイ14世からはルイの名前が、こうまで強要されたのである。