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フランス王家のひみつ なぜ名前が「ルイ」ばかりなのか?

「ルイ王朝」ブルボン朝の不思議

誰が作った決まりなのか?

ブルボン朝は別に「ルイ王朝」と呼ばれる。16世紀末に成立して、18世紀末まで続いたフランスの絶対王政、フランス革命後の復古王政、さらに七月王政まで合わせると、19世紀前半までも続いたフランスの最後の王朝のことだが、その王の名前ときたらルイばかりなのだ。

 

13世、14世、15世、16世と数字が変わるだけなので、誰が誰やらわからなくなり、世界史の受験生泣かせといわれるほどである。まったく、もう、どうして、こんなにルイなのか。

いつからなのか。誰が作った決まりなのか。

ヨーロッパ、わけてもフランスの伝統として、家長の名前はこれと決まっている貴族家門がなくはない。ラヴァル家ならギイ、ローアン家ならアンリといった風だ。

その家に生まれた長男には、常にギイ、アンリと名づけるわけだが、それが病気とか事故とかで、若くして死んだ場合はどうするかといえば、かわりに家門を受け継ぐ次男や三男が、生まれたときにミシェルと名づけられていようと、それまでの人生をジャンとして暮らしてこようと、ギイやアンリに無理にも改名させられた。

その領地では何世紀にもわたって、ギィ・ドゥ・ラヴァル、アンリ・ドゥ・ローアンの統治が続くわけで、支配の正統性や永続性を表現する手法のひとつだったようである。してみると、フランス王家も昔から家長はルイと決まっていたのか。

確かにルイは人気の名前だ。最終的には18世を数えたほどなのだ。

そもそもはフランス王家というか、その前身であるフランク王家、メロヴィング朝の家祖、クロ―ヴィス(Clovis)に由来する名前とされる。

最初にCが取れて、Lovisになり、古代や中世で用いられたラテン語ではvとuの区別がないので、LovisがLouisになった。これをフランス語読みすれは、ルイになるのだ。

意味的にはクローヴィス1世、クローヴィス2世と続けていたわけだが、フランス王家の前身にあたるフランク王家の王朝といえば、カロリング朝もある。その最も権威ある王が、皇帝にも即位したカール大帝、フランス語にいうシャルルマーニュだ。このシャルルも人気の名前で、最終的には10世を数えている。

つまり、フランス王の名前はルイだけではない。18人いるルイは確かに多いが、シャルルも10人いて、さらにフィリップが6人、アンリが4人、ジャンが2人、フランソワが2人と続く。

家門の伝統、一種の約束事として名前にこだわってきたかといえば、フランス王家は割合と無頓着なのである。先行するカペー朝やヴァロワ朝が「○○王朝」とはいわれていない所以で、ブルボン朝だけがルイ王朝なのだ。