「フェミニズム離れ」する若い女子が抱いている違和感の正体

ハッシュタグ運動から見えること
高橋 幸 プロフィール

そして、その個人的領域においては、「女性ならではの役割」や「女らしさ」を楽しみたいという主張を持っている(=(3)性別役割重視)。だが、このような主張内容がフェミニストによって批判されていると思い込んでいるために、フェミニズムに反対している。

つまり、ポストフェミニストは、女であることによって社会的に不利な扱いを受けないことと、女らしさの享受とを「当然のもの」として要求している(もしくはすでに実現されていると認識している)ことがわかる。

本稿は、ポストフェミニストたちの主張内容を明らかにすることを主題としており、フェミニズム不要論者によるフェミニズムへの誤解を解くことを主題とはしていない(この紙幅で後者の議論を展開することは不可能だというのが主にその理由である)。だから、アンチフェミニストやポストフェミニストたちによるフェミニズム理解がいかに「誤っている」のかについては、ここでは触れない。

 

根本的に目指すものは同じはず

以上のようにポストフェミニストたちの主張を整理することで見えてくるのは、「女らしさ」の享受と「女であることによって社会的に不利な扱いを受けないこと」を当然視するポストフェミニストの主張は、根本的には、現在フェミニズムが目指しているものと齟齬するところがないのではないか、ということだ。

例えば、フェミニズム原理に近いハッシュタグ運動#MeTooは、「女性的魅力」の発揮(例えば、女優という職業)と、セクシャルハラスメントにあわずに職業生活を全うできるような社会的環境の両方を要求したものといえる。

もちろんフェミニズム不要論者はフェミニズムの主張に対する強い不快感や込み入った複雑な感情を持っている。それらの感情には彼女が「女性」という自分の社会的アイデンティティと関わりながら生きてきた経験と歴史が蓄積している。私はその感情を軽視するつもりはまったくない。むしろフェミニズムをめぐって女性たちの中で生じている感情的軋轢を丁寧に見ていくことこそが、現代社会において「女性」として生きることの意味を明らかにすることに役立つのではないかと私は考えている。

(その点で言えば、#WAFは短文での主張をメインとするものであるため、フェミニズム不要論者がフェミニズムに対して抱えている複雑な感情の機微を捉えることはできなかった。この点についてのさらなる検討は今後の課題として残っている)