並樹 つまり、完全に役柄になりきって振る舞ってしまう。
東 私は裕子ちゃんのラストシーンの撮影現場に行き、「おつかれさま」と言ってお花を渡しました。撮影中はまったく弱みを見せなかった裕子ちゃんが涙を流していたのを覚えています。
並樹 命がけで演じた役柄ですからね。
木俣 田中さんご自身は、『おしん』が国民的ドラマになったのをどう思ってたんでしょうね?
並樹 今思うと若気の至りですが、僕ですら文学座俳優のプライドというか、演劇からNHKの朝ドラというまったく違う環境にきて、「俗」に触れてしまったというショックが当時はあったんです。
裕子さんは僕の何倍もそういう葛藤があったと思います。彼女は朝ドラ自体は『マー姉ちゃん』で経験していましたが、『おしん』は国民的ドラマになってしまった。
おしんフィーバーのなか、撮影現場に自民党の議員が視察に来たこともあるんですが、その際、裕子さんに言われました。「並樹くん、絶対歯を見せないようにしようね」って。すごい考えの持ち主だな、と思いました。
東 そんなふうに一本芯が通っている裕子ちゃんだから、その後も大女優の道をしっかりと歩んで行ったのでしょう。
実はね、『おしん』を通しで再放送するようになったのは、'03年以降のことです。'84年夏の再放送では『おしん』の幼年期だけ。裕子ちゃんが所属していた文学座の許可が下りなかったんです。裕子ちゃんではなく文学座の判断かと思いますが、役者として色がついてしまうのを嫌ったのかもしれません。
木俣 役者にとってイメージが定着することは、良い面も悪い面もありますからね。
並樹 裕子さんのその後の活躍は言うに及ばずで、『おしん』を抜きにしても、十分に女優としての地位を確立しています。それでもまだ『おしん』の呪縛と戦い続けているように見えるほど、彼女にとって運命的な作品だったのだと思います。
『週刊現代』2019年6月15日号より