世田谷の超高級住宅街に「都心のドカンと一軒家」を見に行く 

70畳のリビング、維持費は月40万…
週刊現代 プロフィール

これまで取り上げた大豪邸の住民たちは、基本的に一代で財を築いた人ばかりだ。こうした人たちは成城では珍しい存在だと、周辺住民が話す。

「目を引くような大きな家は、古くから世田谷に暮らしている住民が多いです。しかし、後年になって固定資産税を払うことが難しくなり売却する人もいる。

または、相続税の代わりに土地を物納する人だっています。こうした世代交代が進むことによって、住宅区画の細分化が進んだ印象です。

実際、細かく区画を仕切られた土地が売りに出されているので、庭も緑もない普通の家が増加傾向にある。もはや、超豪邸は珍しい物件なんです」

 

先祖の土地を守る

先祖代々が土地を持っていたことから豪邸に住む昔からの住人にも話を聞いた。

東急世田谷線の上町駅から徒歩3分ほどの場所に一人で住んでいる越中敦夫さん(仮名・84歳)だ。大きく重厚な門構えと広いガレージが目立つ邸宅の周囲は、高いレンガの壁に囲まれている。

外から中の様子をうかがうことはできないが、門をくぐると玄関まで30mほどのアプローチが現れる。モミジなどの常緑樹が植えられた庭園を通れば3階建てで約150坪のタイル調の洋館に辿り着く。

Photo by iStock

「生まれは世田谷の経堂です。そこから分家して世田谷一丁目に住むようになりました。本来は近所の世田谷代官屋敷の隣に大きな実家があったのですが、取り壊して昭和35(1960)年にいまの場所に移住したのです」(越中さん)

世田谷代官屋敷とは、「世田谷三大地主」の一つに数えられる大場家の私邸かつ役宅で、現在は重要文化財に指定されている。そんな名家の隣に居を構えていただけあって、越中家も相当な地主だった。

「それこそ昔は、山林や貸していた田畑を合わせれば2町歩(6000坪)ほど土地を持っていました。しかし、戦後の農地改革によって半分近く没収されたそうです。

それでも、分家した後の先代が商売をしながら土地を購入したりして財産を残してくれました。そのおかげで、私は食べさせてもらっているだけですよ」

この地で生まれ育ち、国家公務員を早期退職したあとは息子とともに先代が残した土地を利用して不動産業を営む。いま、実家があった世田谷代官屋敷の隣は駐車場として貸し出して管理しているという。

越中さんは、長く世田谷を見守り続けた住人として土地への思いをこう語る。

「ここは本当に昔から変わりません。のんびりした昭和の空気感が色濃く残っているんです。戦争のときに東京は大空襲にあいましたが、大量の焼夷弾は運よく風に流されて代官屋敷のあたりは被害を免れました。

そのおかげで古くからの家々は残っていますし、いまでも昔の思い出に浸れることは本当にありがたい。

もちろん、いま住んでいる家は固定資産税など維持費が非常に高いですが、仕方のないことだと割り切っています。この土地を処分して、また移住するなんて先祖に無礼なことはできません。残りの人生は、ここで過ごすつもりです」

都心のど真ん中に大豪邸を構えていると聞けば、まったく想像もつかない人種と思うかもしれない。しかし、彼らの話を聞いてみると、色とりどりの人間ドラマが豪邸のひとつひとつに隠されていることがわかる。

「週刊現代」2019年6月15日号より