世田谷の超高級住宅街に「都心のドカンと一軒家」を見に行く 

70畳のリビング、維持費は月40万…
週刊現代 プロフィール

井上さんと同じ成城に居を構える田中武志さん(83歳)の邸宅は、角地で築40年以上の立派な日本家屋だ。500平方メートルは超える広大な敷地には趣ある庭園もあり、手入れの行き届いた何十本もの松の木が周囲から目立っている。

田中さんが、この豪邸に住むまでの経緯を振り返る。

「私は、日中戦争が起きる前の年に長野県伊那郡というところで生まれました。幼いころは食糧不足で、それはもう大変でしたよ。とにかく生きることで必死だった。

地元の高校を卒業してからは、少しでも裕福な生活をしたいという思いから裸一貫で夜行列車に乗り上京。国際自動車というタクシー会社に就職します。

最初は観光バスの洗車ばかり任されていました。洗車機なんて便利なものはなかったので、日がな一日タワシでタイヤを磨いたものです。冬の時分は、しもやけで手が腫れ上がって本当にしんどかった」

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「成城憲章」とは

重労働で低賃金という環境を変えるために、田中さんは一念発起して起業することを決意。兄弟や知人の助言を受けて建設会社を設立すると、一戸建てを売りに売った。

さらに、飲食店や美容院などの店舗開発も行うようになると、これが大当たりする。

たちまち資産家となった田中さんは、'72年に世田谷で設立された新日本プロレスのスポンサーもつとめていたという。このころから渋谷や恵比寿の土地を購入するなどして、いまも不動産業を営んでいる。

「兄の勧めで、ここに住み始めたのは'77年からです。当時は近所に石原裕次郎や横溝正史が住んでいました。土地と家を合わせて当時の金額でいえば1億円くらいでしょうか。完成披露パーティーにはアントニオ猪木と倍賞美津子が来ましたよ」

また、成城の暮らしには何一つ不自由がないと話してくれた。

「ここには『成城憲章』と呼ばれる住人同士のルールがあります。みんなで協力して、住みやすい街を作っていこうという意識が共有されている。こうしたルールが、緑の多い成城の景観を形作っていると思うし、とてもいいことです」

 

この「成城憲章」を枷に感じる住民も少なからずいる。成城学園前駅から徒歩5分ほどの大豪邸に住む神谷弘子さん(仮名・37歳)は、こう不満を漏らす。

「5年前に都心から引っ越してきました。でも、持ち家ではなく賃貸なんです。主人にとって成城は『一度は住んでみたい憧れの街』だったみたいで、少し無理をしてこの一軒家に住んでいます。

この土地の最大の魅力は、やはり緑の多さですね。住民の皆さんは美化への意識が高く、庭師を呼んでお手入れをしています。

ウチだけが適当にしておくわけにはいかないので定期的にお願いしていますが、プレッシャーに感じることもある。特に古い住民の方々は地元愛が強いものですから……」