講談社の跡取り息子と「ターキーも惚れた」従弟「直接対決」の真相

大衆は神である(55)

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業者・野間清治の波乱の人生と、日本の出版業界の黎明を描き出す大河連載「大衆は神である」。

講談社、報知新聞の経営を安定させつつあった清治は、跡取り・野間恒に「帝王学」を学ばせる。恒の弟のようにして育った、清治の甥っ子・森寅雄は恒のことを慕いながらも、「弾除けになれ」という刷り込みもされていた。

寅雄は私立巣鴨中学に通い、剣道部に所属。勝ち抜き戦で先方で出るや、自分より高段者も含めて一人で36人抜きをしたこともある名手だった。

 

第六章 雑誌王の蹉跌──恒と寅雄(2)

ガモ中の麒麟児

昭和5年12月、日本青年館で全日本中等学校剣道大会の第1回大会が開かれた。このとき寅雄は巣鴨中4年だった。巣鴨中チームは、大将・寅雄の活躍で順調に決勝まで勝ち進んだ。決勝の相手校は鹿児島県第一師範学校(現・鹿児島大学教育学部)である。

『野間道場物語』(原園光憲著、講談社刊)によると、決勝のはじめ、巣鴨中は苦戦した。鹿児島一師の中堅に副将まで抜かれてしまったのである。

最後に登場した寅雄も一本目は籠手を奪われた。が、さすがに大将の責任を果たし、面二本とって鹿児島一師の中堅を退け、つづく副将にも面の二本勝ちをした。

最後は大将同士の戦いである。「勝負三本」の声がかかると、寅雄は竹刀の柄から右手を離し、左手一本でさげた竹刀を左脇に開き、相手の大将・竹下義章をじっとにらんだ。

すると、いきなり竹下が面に打ちこんできた。それを左手の竹刀で受け、さっと体を右に開き、流れる竹下の背を右手でたたいた。

竹下は床に転倒した。すかさず寅雄は、倒れた竹下の逆胴を斬った。

翌日の報知新聞は「巣鴨中優勝す 大将野間の独壇場」と大きく報じ、「ガモ中の麒麟児」寅雄の名が全国に鳴り響いた。剣道界の最高権威である中山博道がのちに口にしたそうだ。

「いま日本中で剣道家が何人いるかしらないが、野間寅雄に三本勝負で勝てる者はまずいないだろう。三本勝負して、一本一本の勝負に出来るのが片手いるかな」