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現役小学校長が、組み体操「巨大人間ピラミッド」廃絶を訴える理由

この「抑圧社会」を変えるためにも

人間ピラミッドに見え隠れする「思想」

運動会につきものとされる「組み体操」、とりわけ巨大人間ピラミッドの問題点が指摘されるようになって久しい。

この6月11日には、大阪府教育庁が府立学校に対して、人間ピラミッドやタワーの「原則禁止」を通達した。昨年度、府内で383件もの事故が発生し、100件以上の骨折があったことが理由という。

しかしその一方で、教育界ではいまだに、組み体操へのこだわりが消え去ったわけではない。内田良氏(名古屋大学准教授、教育社会学)によると、一部の地域ではむしろ巨大化、活発化さえしているようである。そこには一体、何があるのか。

おそらく、組み体操の危険性をいくら訴えたところで、巨大化は止まらないだろう。また事故が起きても、現場では「安全対策」が講じられ、再び巨大化していく――。私も一教育者として実感するところだが、教育現場における組み体操の人気は、それほど根強いものなのである。

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そもそも、「安全性が確認された」ならば、組み体操や巨大人間ピラミッドは問題ではなくなるのか。私は、たとえ安全であったとしても、子供たちの体育において巨大人間ピラミッドのような種目を実施するべきではないと強く感じている。

巨大人間ピラミッドを、あえて教育現場で実施する、その教育上の目的はどこにあるのか。子供たちに何を学習させようとしているのか。

 

おそらく、推進する人々の多くは、その根拠として学習指導要領の「特別活動」のくだりをあげるだろう。

(3) 健康安全・体育的行事  
心身の健全な発達や健康の保持増進,事件や事故,災害等から身を守る安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵養,体力の向上などに資するようにすること。(学習指導要領第6章第2「学校行事」より)

しかしそこには、本当に体育的視点があるのだろうか。

巨大人間ピラミッドにおいては、下の子供はただひたすら重量に耐え、上の子供は落下の恐怖と戦う。そこに、ある「思想」が見え隠れしていることに、推進する人々は気づいていない。教育観、人間観と言ってもよい。体育的視点から言うと身体観でもある。